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生花店 有花園専務取締役  亀田 慎也(高崎市上和田町)



【略歴】高崎高、早稲田大教育学部卒。1998年から家業の生花店で働き、高崎青年会議所の活動にも携わる。高崎田町屋台通りを応援する「旦だん那な衆の会」代表。


避難住民と交流



◎郷土料理囲み心通わす



 震災から3週間たった4月2日、さまざまな形で災害支援に動き出していた二十数名が次の展開をどう考えるかについて意見を交わしていた。高崎「すもの食堂」。往時のにぎわいをしのぶ蔵の中で、被災地の現状や避難所への支援物資の選別・運搬などの報告がなされた。「南相馬から群馬に避難してきている方々に対し、地域社会でどうサポートしていけば良いのか? ひと月過ぎた後のニーズは?」「避難所での生活は当初より落ち着いてきている。少しずつ負担にならない程度の日常的な仕事をしたいという声もあるそうだ」「次のステップとして群馬という土地になじんでもらい、顔の見えるお付き合いを構築する必要があるだろう」。何かしたい、しなければならない。焦りにも似た空気を一人の料理人の言葉が一変させた。「南相馬の郷土料理を作ってもらうことってできないかな」

 4月11日。まさに震災からひと月目のその日、中之条・東吾妻を避難所としている南相馬のお母さんたちによる郷土の手料理が振る舞われた。ほっき飯、かすべのから揚げ、弁慶、八杯汁、かつおの焼きびたし、青菜のじゅうねん和え、凍み餅。どれも群馬ではお目にかかれない南相馬のごちそうだ。訪れた100人ほどのお客さまはすっかり料理を堪能し、披露された「相馬盆唄」に聞き入っていた。そこにはあたかも南相馬の風景が目の前に広がっているようでさえあった。

 被災者と受け入れ側という一方向的な関係ではなく、あえて人と人との自然な交流とつながりを意識した。「群馬をもっと知ってもらいたい」、それは「南相馬のことをもっと知りたい」と同義語でもある。互いの生まれ育った土地を感じることで、より親密な間柄が生まれる。親類縁者でもない、昔から知っているわけでもない。それでも一緒に卓を囲んで語らい、笑いあった時間がそれを縮めてくれる。「被災者ってこと忘れちゃうね」。その一言が人と人、地域と地域の紡ぎなおしを物語ってくれた。

 先行きが見えない不安の中で、ひと時心を癒やしていただけたのであれば望外の喜びである。と同時に次のステップを見据えながら時を過ごすことを私たちも忘れてはならない。避難生活が長期にわたるのであれば、より多くの方と顔の見える関係を作るのもその一つだろう。今回の企画は話が持ち上がってから10日ほどで当日を迎えた。刻々と事態が変化する中で、そのタイミングに合った動きができるかどうか、常に目線を先に置いて物事を判断していく。そのヒントは現場にあるということもまた同時に思い知らされた。私個人でも十数人の顔が思い浮かぶ。もはや報道で見る「被災者」ではない。何とか力になりたいと、心の通い合った一人一人の顔が思い浮かぶのである。





(上毛新聞 2011年4月30日掲載)