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川柳さろんGunma世話人  河合 笑久慕(太田市薮塚町)



【略歴】上州時事川柳クラブ事務局長。本名は遠坂孝雄。県川柳人協会委員。川柳研究社幹事。みやま吟社会員。古川柳研究会会員。昨年3月より「川柳さろんGunma」開設。


大震災をどう詠むか



◎さまざまな思い込めて



 1000年に1度といわれる大震災、原発事故とその影響の凄(すさ)まじさ。誰もがその日その時それぞれの場所で、この大災害に遭遇したわけで、その衝撃はかつて日本人が体験したことのない強烈なものだったのでは。この経験が、今後の生き方、考え方に影響を与えずにおかないのではないかと思います。世の中の仕組みの大きな変化を予見し、「戦後」になぞらえ「災後」という言葉を使う人もおります。

 巨大な悲しみの渦中にある被災地の方々に対して、私が体験したのは、激震とその後の計画停電、ガソリンなどの物不足、電車の運休など。大いに困惑したことは事実ですが、現地に比べればささやかなもの。

 とはいえ、大揺れの後、真に恐ろしいものを見た、と言わざるを得ません。テレビの中継映像で伝えられる恐ろしい光景の数々。とりわけ大津波が町を呑(の)み、さらに田畑を呑み込みながら、どす黒いアメーバのように、ぐんぐん内陸深く浸入して来る光景に身震いが止まりませんでした。 その場に居合わせたわけではなく、「見た」に過ぎない現実ですが、吐き気のするような無力感とともに、<日本を丸呑みにする大津波>などと拙つたない誇張表現が句の形でこみ上げてきました。津波の圧倒的な衝撃がこの震災の象徴のように思えた瞬間です。

 これをきっかけに、震災のさまざまな姿に次々と言葉が泡立ち、ノートに句を書き続けました。今でも思いの揺れ動くたび、震災関連の句がノートを埋めています。川柳という詩型は直面する現実に即座に反応しやすいのかも知れません。

 「上毛川柳」には、その数日後から震災関連の句が連日掲載されました。私も投句を続け、いくつかを載せていただきました。他紙の川柳欄も、結社の柳誌や専門誌もたくさんの震災関連句で溢(あふ)れていたのでは。詩、短歌、俳句など他の文芸ではどうでしょうか。

 今後、この大震災の衝撃とその波紋を、どう表現していけばよいのか。投句した句の掲載の有無にかかわらず、多くの人が自問自答しながら創作していくのではないかと思います。

 川柳の詠み方にもいろいろな角度があるはずです。それぞれの場所での自己の体験や心情、身辺の事柄だけでなく、震災を真正面から見つめ、報道で知る被災地の状況や涙なしには聞けない生々しい談話などからも、哀悼、鎮魂、祈り、激励、慰めなど、さまざま思いを込め、想像力を働かせてさまざまな表現が可能では。政治や社会、経済など世相の動きからも目を離せないでしょう。

 大震災をどう詠むか。川柳さろんGunmaの5月29日の集いでも、これを座談会のテーマにします。関心をお持ちの方は、ぜひお気軽にお出かけください。






(上毛新聞 2011年5月15日掲載)