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県立女子大非常勤講師  新井 小枝子(藤岡市中大塚)



【略歴】藤岡市生まれ。県立女子大卒、東北大大学院修了。博士(文学)。専門は方言学、日本語学。近著に『養蚕語彙の文化言語学的研究』(ひつじ書房)。


群馬らしい春の光景



◎来し方のことばに学ぶ



 季節はうつろい、春から初夏へ。3・11の直後、春の訪れを疑わしく思った。しかし、春はきた。そして、この世に常なるもののなきことを、静かに諭しながら、ゆき過ぎようとしている。

 じつは、3・11の直前、桜前線の北上を心待ちにしながら考えていたことがあった。春といえば、確かに桜にちがいないが、群馬らしい春は、そればかりではないはずだと。

 ひと昔前、群馬には<桑の芽吹き>に活気づく春があった。固い新芽がほのかにゆるむころ、子どもたちはクワバラ(桑原)に出て、シャクトリヒロイ(尺取り拾い)またはカックイトリ(桑食い捕り)をした。桑が葉を広げる前に、それを食い荒らす害虫、すなわち尺取り虫を退治するのだ。 この手伝いには、ちょっとした面白さがあった。尺取り虫は、桑の枝と見まがうほどの保護色をしており、まるで小さな枝のごとくに体をピンと伸ばしてじっとしている。この虫にドビンワリ(土瓶割り)の名があるのはそのためなのだが、そのありさまを見ぬくのは楽しかったという。下から目をこらして、じっとのぞき込む。ひとつ見つけては、親が持たせてくれた竹筒へと捕獲。身近な生きものの生態観察をしながらの、立派な手伝いだった。

 その観察結果は、虫への名づけのとおりである。シャクトリ(尺取り)は、尺をとるがごとくに動く、独特な様子に注目。ドビンワリは、土瓶が割れることに注目。枝にかけたはずの土瓶は、真っ逆さま。割れてだいなしに。ひねりがきく。カックイは、桑を食い荒らすことに注目。どこか迷惑千万な感じ。背後に養蚕の営みを思わせる。

 子どもたちが手伝いを終えるころ、大人たちは、ハチジューハチヤノワカレジモ(八十八夜の別れ霜)を恐れながら、ハルゴ(春蚕)の準備に追われた。黄緑色の桑の新芽を、たった一晩でなえさせてしまう春の遅霜に、いたく心をくだいた。ここを無事にのりきれば、桑はみるみるうちに葉を広げ、群馬の地は、たちまち桑の海とあいなった。

 かくして、群馬には群馬の春があった。子どもは不平不満も言わず、無我夢中で手伝い、大人たちはシンショーガケ(身上掛け)の大仕事に覚悟を決める。そんな春の光景は、今や過去のものに。言わずもがな、それを語ることばも同じ運命をたどる。記憶の中にしまい込まれたことばは、やがて完全に姿を消すだろう。群馬らしい春が語られなくなることは、ことばの多様性を失う点で、深刻なことのように思う。

 しかし、常なるものはない。それを思い知る経験をした。だからこそ、本気と覚悟をもって、来し方のことばに学びたい。故(ふる)きをあたため、前にすすむ。そう心に刻んだ春が、ゆき過ぎようとしている。






(上毛新聞 2011年5月16日掲載)