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ピアノプラザ群馬代表取締役  中森 隆利(高崎市問屋町西)



【略歴】静岡県磐田市出身。高崎経済大経営学科卒。家業の日本シュバイツァピアノで経営と技術を学び、1974年、ピアノプラザ群馬を創業。群馬交響楽団運営理事など。


被災したピアノ



◎復興に向け懸命に修理



 16年前の阪神大震災の時は1週間たたずに“がんばれ神戸”を合言葉に復興のイベントを行った記憶がある。今回の東日本大震災は“がんばろう日本”が合言葉だが、被害の大きさや範囲の広さ、被災者の多さに、多くの音楽関係者同様、しばらくは無力感だけでなすすべがなかった。

 3月27日、自粛や計画停電などの影響で多くのコンサートが開催できなくなった中、群馬交響楽団の定期演奏会が開かれた。予想に反して満席に近い盛況で、ロビーでは団員自ら募金の呼びかけを行い、聴衆全員での黙禱(もくとう)とJ・S・バッハ作曲の「アリア」で始まる復興支援の演奏会となった。

 終演後はほとんどの方から「会場に来るか迷ったが、良い音楽が聴けて良かった」「やっと気持ちが晴れた」などの声を頂き、これほど音楽の力を実感できたことはなかった。

 その翌日に連絡がとれずに心配をしていた岩手県宮古市のジャズ喫茶の堀内繁喜さんから電話を受けた。家も、家財も全て流され、街中の4階建てビルの1階にあった店も1メートルほどの津波を受けて店内にあった大切なピアノの下半分が海水に漬かり、知り合いの調律師に連絡をしたところ、助かる見込みはないと言われて、落胆したとのことだった。

 私自身、被災者のために「何ができるか」をずっと考え、募金集めの活動などを始めていたが、もっと直接的に支援できないかを考えていた矢先だった。

 話を詳しく聞き、今までに水害に遭ったピアノの修復も多く手がけた経験から、このピアノは助けられると感じた。道路が開通し、運び出せる状況になるまで、堀内さんが真水でピアノ本体を根気良く拭いてくれるなど真剣に取り組んでくれた。

 4月16日、亀裂の入った高速道路を交代でトラックを運転し、ピアノを店から担ぎ出して無事搬出。1カ月ほど前、津波の被害を受けるまでここに町があり、生活が営まれていたとは到底思えない景色の国道45号を釜石まで走り、約10時間かけて戻ってきた。

 被災したベーゼンドルファーピアノの修理は順調に進んでいる。だが、想像した通り、金属部分の錆(さび)や腐食、木工部分の割れなどは手間がかかり、全治2カ月の診断は間違いなさそうだ。

 今は被災地で復興のジャズライブが開催されるのを祈っている。また、地元の音楽家の要請で宮城県内の被災した学校などの施設に技術者の連携でピアノ10台を寄贈する話や、被災した南三陸町、東松島での慰問演奏会にピアノを借りたいなどの依頼も入っている。いよいよ私たちの復興支援が忙しくなってきた。







(上毛新聞 2011年5月19日掲載)