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中之嶽山岳会長  飯嶋 常男(下仁田町上小坂)



【略歴】甘楽農業高(現富岡実業高)卒。25歳で山岳会に入り、妙義山の登山道整備や山岳遭難者の救助に携わってきた。近年は同山や郷土史の調査にも取り組む。


ジオパーク登録運動



◎地質遺産で町を活性化



 下仁田町では、ジオパーク登録運動が町内全域を対象に進められています。周辺地域も含み、現在35カ所のジオサイト候補地があり、その地区ごとに教育委員会ジオパーク推進室が観察会を行っています。

 4月23日には妙義山を源として流れる小坂川で、35人が参加してジオサイト(ポイント)観察会が行われました。説明は下仁田自然学校の先生が坦当。河川の岩盤が露出している場所を主に、下流域の中小坂・中島橋から中小坂・虻田精進淵(有孔虫・河床段丘・ゼノリス等)までのジオポイント5カ所を観察しました。

 地層や岩盤など、それぞれの地区特有の観察ポイントが露出しています。地元の方の参加により、その地区の人しか知らない地質や鉱石、地域の歴史産業など新たな発見があり、今後各地域で新しいジオポイントとなる可能性もあります。

 中小坂と上小坂境界の山体頂上部には柱状節理がむき出しの砥山が江戸時代から産業として成り立ち、小坂産の上野砥(青砥中砥)と南牧産幕府御用砥(虎砥・沼田砥)が産地として古文書に記載されています。以後、1975年初期まで鉱石産業として成り立ち、現在でも砕石業者が営業している地区です。

 また、上小坂地区にも数カ所の砥石山があり、昭和30~50年代に事業が行われていました。近くには地元の人しか知らない鉱石を採掘した坑道があり、幅約1・7メートル、高さ約2メートル、長さ約50メートルで、金穴と呼ばれています。どんな鉱石を採掘したか、いつごろ掘られたかなど、文献にもない不明の採掘坑が数カ所存在しています。

 今までは地質にスポットライトが当たることはほとんどなく、地学の学生たちがハンマーを持って岩に向かっている姿を、その周辺の人々が見かけるのみで、その場所は「珍しい地質」程度の認識が一般的でした。

 また、ジオパークという言葉が使われるようになったのも数年前からで、認識が薄いのが実情でした。このため、町はジオサイトとなる地質に解説付き案内板を設置し、町内全戸へパンフレットを配布して、地域活性化に結び付ける活動が始まりました。

 ジオパーク構想は新規の観光施設ではありません。既に太古からある町の地質遺産を掘り起こし、自然学校の先生方の努力により、町周辺を含めた広域のジオパーク登録運動へと発展してきた経過があります。

 観察ポイントは山中や河川で、ジオサイトは広範囲です。今後は、見学者の受け入れ体制づくりや観察ルート、駐車場・トイレなどの整備も必要となり、また宿泊や土産物、解説者の育成等の課題もあります。






(上毛新聞 2011年5月30日掲載)