視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
.
NPO法人・手をつなごう理事長  田中 志子(沼田市久屋原町)



【略歴】帝京大医学部卒。認知症を主とした老年医学専門医師。2008年「いきいきクリニック」開業。認知症啓発に取り組み、県認知症疾患医療センターのセンター長兼務。


認知症への理解



◎周囲が臨機応変に対処




 「立たないで。何しているの!」。やや強い口調で若い介護士さんがお年寄りに声をかけている。高齢者施設ではよくある光景である。

 しかし、私は研修で必ずこの場面を引用させてもらっている。「あなたは今、トイレへ行きたいと思ったらどうしますか?」。研修生は皆きょとんとした顔をする。「立ってトイレへ行ける人?」。顔を見合わせながら不思議そうにおずおずと多くの手が挙がる。「じゃあ行きますよね?」。皆うなずく。ここからが本題、ロールプレイをする。

 「あなたは今、先日骨折したばかりの認知症の高齢者です。ところが認知症のあなたは自分では今の体と心を持っていて、自分で今のように一人でトイレへ行けると信じています。トイレへ行きたくなりました。どうしますか? 立ってトイレへ行こうとする人?」。多くの研修生の手が挙がる。「しかし、介護者の私から見ると認知症のあなたは立ち上がりも危険で、すぐに転んでしまいそうなお年寄りです」。研修生はうなずく。「介護者の私は叫びました。『危ないから立たないで。何しているの!』。そして抑えつけようとしました。さて、認知症のあなたはどう対応しますか?」

 しばらく時間をおいて聞いてみる。「一人でトイレへ行きたいので、急に抑えつけた失礼な職員の手を振り払ってトイレへ行く人?」。半分以上の手が挙がることが多い。しかし私は意地悪を言う。「黙って座っていた転びそうな認知症のあなたが一人で立つと危険だと思って止めただけなのに、急に私の手を振り払うような暴行を受けました。『突然の暴力』。そんな風に介護記録に書くかもしれません」。研修生は黙って聞いている。「でも、認知症のあなたは、自分では自分が認知症であるということも、自分のふらつく体のことも、本当は一人でトイレへ行くのは危険なことも分かっていないだけなのです。だから認知症に理解のある介護者が、もしも認知症のあなたが立ち上がったときに『お手洗いでしょうか?』と、隣からそっと支援をしたら認知症のあなたは振り払ったりはしないでしょう」

 研修生は皆、目からうろこが落ちたような顔をしてうなずいてくれる。さて、ここで皆さんにも気づいてほしいことがある。変わったのは認知症役の研修生ではなく、介護者役の私の対応だけだということ。認知症の方に「変化」を要求することは非常に酷なことである。臨機応変に変わるのはむしろ適応力のある周囲の私達でなければいけない。「立たないで。何しているの!」という介護者の声が、今日はたくさんの施設でひとつでも減っていることを願っている。そもそも、立つには、必ず理由がある。








(上毛新聞 2011年6月28日掲載)