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新島学園短大准教授  亀井 聡(高崎市飯塚町)



【略歴】宮城県生まれ。県内の児童養護施設在職中に資生堂児童海外研修に参加し、豪州の児童虐待の取り組みを視察。その後駒沢大大学院を修了し、2006年から現職。


社会的養護の生活保障



◎自己実現の環境整える




 東日本大震災によって両親を失った子どもが百数十人を超え、いずれかの親を失った子どもはその数倍になるといわれている。自分の家庭で養育が困難になった子ども、すなわち要養護児童として社会的養護の対象になる。

 社会的養護は子どもたちの生活をどこまで保障すればよいのだろうか。 今日の社会的養護の担い手は、大きく二つに分けることができる。家庭的養護として養育里親、親族里親、里親らによる小規模住居型児童養育事業(通称ファミリーホーム)、そして乳児院や児童養護施設などの施設養護である。

 日本の社会福祉は憲法13、14、25条などが根拠になっている。憲法25条といえば「健康でかつ文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」であり、われわれは最低限度という言葉を頭に浮かべる。

 社会的養護で育てられている子どもたちへの生活の保障が最低限度であればよいか、あるいは教育は義務教育修了だけでよいかと聞かれれば、多くの人は「ノー」と答えるだろう。

 家庭的養護であれ、施設養護であれ、社会的養護の対象となる子どもの生活を保障するといった場合には、健康でかつ文化的な生活を保障することであり、それが成長発達の保障につながっていく。

 生活保障の方法は、恩恵的な保護による集団的な養護ではなく、前回の原稿で述べたように普通の家庭生活に近い状態で健康で文化的な生活が営まれることが求められる。

 「健康で文化的な」とは、精神、知的な発達などと身体的発達が均衡のとれた状態であり、全面的かつ調和のとれた発達である。健康でかつ文化的な生活を保障するためには、子ども一人一人の人権が尊重され、発達の可能性を保障し、そして自立や自己実現が図られるような環境を整えることである。

 当然、この中には社会的養護の中での十分な依存体験や社会参加が保障され、自己選択や自己決定の機会も保障かつ尊重されることを含む。さらに、子ども自身にかかわる重要な問題、例えば高校進学や就職などに関してもそのような話し合いの場面に参加し、子どもたちの意見表明を尊重して決定していくという手続きも含まれる。

 最低限度の保障だけであれば、社会的な活動に必要な生活資源が欠落した状況で生活することになる。そこから不利が蓄積され、そこから容認できない不平等が生まれ、可能性が制約されることになり、人生の選択肢が狭められ、社会的不利益と社会的不平等を社会的養護がつくり出すことになる。言い換えれば社会的養護に携わる機関が子どもの貧困をつくり出すメカニズムの一つになる可能性を持ち合わせている。






(上毛新聞 2011年6月30日掲載)