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ステージサービス群馬社長  添川 秀樹(前橋市富士見町石井)



【略歴】早稲田大社会科学部卒。日本ホールサービス取締役群馬支社長を経て現職。現在、社団法人企業メセナ群馬理事。群馬楽友協会理事(事務局長)。


群響のアートとマネー



◎寄付促進へ税制改正を




 小中学校を群馬県内で過ごした人たちにとって、群馬交響楽団は、移動音楽教室を通じて身近で親しいプロ楽団ではないでしょうか。今回はその群響の小史や音楽シーンへの貢献を検証して、誰が群響を支えて行くのかを考えてみます。

 群響は終戦の1945年に高崎市民オーケストラとして発足し、47年にプロ楽団として再発足した、日本で3番目に古いプロの交響楽団です。

 以降、群響は財団法人に認可され、群馬県、高崎市から補助金の交付を受け、更に発足して11年後の56年には、群馬県が文部省(当時)から全国初の音楽モデル県に指定されました。このことについて群響の活動が多大な貢献をなしたものと思います。

 この様に短期日のうちに実績を重ねた群響の演奏会。私は学生のころから今日まで約40年、間断なく聴いてきました。40年前の定期演奏会は、聴衆が極端に少ないため、少数の私たちは一生懸命に拍手しなければならず、手が痛かったことが忘れられません。

 しかし、昨今の会場は、様変わりしました。入場券の入手が困難なほどの盛況で、「我らの群響」と温かい雰囲気に包まれています。ようやく県民の支持に根ざしたとの感を強くしています。移動音楽教室で鑑賞した児童生徒は延べ600万人を突破しました。玉村町が実施している特別演奏会はほぼ満席の状態を続けています。

 都道府県の知名度ランキングでは劣る群馬県ですが、クラシック音楽の世界では知名度抜群です。群響があるからです。県民の心を耕し癒し、県民に愛され、芸術の普遍性から世界にも通ずる、県民の誇るべき群響となりました。

 その群響が経済的危機に直面しています。行政からの補助金の削減、景気の低迷などが原因です。誰が群響を支えて来たか。まず楽員と楽団スタッフです。特に楽員は、よく研讃を積み、演奏技術の向上が今日の盛況をもたらしました。群響の存在意義を理解した群馬県、高崎市ほかの助成。高崎市民や群馬県民が入場券の購入を介して収入に寄与して来ました。

 この群響を維持継続するには、行政による助成か民間機関や個人による寄付の二つの方法が考えられます。一つに限定すべきではありませんが、今後は寄付の一層の増加に期待しています。そのためには早急に寄付に対する税制上の優遇措置や顕彰方法を設けて寄付を促進することを提言致します。やはり、多くの群馬県民で支えるのが本筋のように思うからです。 そして、響きの良い群響の拠点となる音楽堂の新設。定期や特別演奏会の公演回数の増加やオペラの定期上演など、将来に向けてより一層の充実の展望が開けることを期待します。






(上毛新聞 2011年7月19日掲載)