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片品村文化協会長  千明 政夫(片品村摺渕)



【略歴】片品村生まれ。旧制沼田中学卒業。農業の傍ら、約30年間PTAとして村の教育に携わり、小中高校のPTA新聞の発刊に尽力。2007年から村文化協会長。


発見された古文書



◎悠久の時の流れ大切に




 東日本大地震の被災地は、一時は見渡す限りがれきの山となり、この中には地域の大切な神社仏閣も多数含まれていると思います。心のよりどころとして、何とか復興されること願っています。

 私の住む片品村摺渕上幡谷にある武尊神社由来の古文書が奇跡的に発見されました。

 この集落はかつて、小正月のどんど焼きの火で大火事になり、それ以来この行事は中止されています。

 さらに、旧暦の桃の節句にあった2回目の火災では、1軒を残して7軒が全焼してしまい、古文書などの多くが焼失しました。

 1998年、地区の人が古い家の改築のために古文書など燃やしているところを、「古文書研究会」(片品村教委主催)の講師(故人)が通りかかり、残りの古文書を引き取って解読したところ、貴重な古文書だったのです。

 この古文書は1720(享保5)年5月6日、上幡谷の住人、千明八右衛門という人が、神社の由来書を書き写し、本書はこの神社の棟札に封入と記されています。

 この書を要約すると、神社の武尊大明神は、日やまとた本武けるの尊みことで、神社は1276(建治2)年、この地域の里宮として建立され、その後265年ほど、利根郡の村々76カ村が氏子だったということです。

 この神社には神主はおらず、越後の上杉謙信の家来の千明右近という人が、別当(職業は別に持ち神社の管理や、その支配を行う人)として仕えたと記されています。

 この神社の由来は、神代の時代、日本武尊が東征の折、この上幡谷に到着したのが、旧暦9月の中の申さるの日の申の刻、現在の午後4時ごろと言われています。それでこの日にこの神社の氏子家族や関係者が集まって申祭りを行います。

 祭りの最後に、出席者全員が境内に生えているささの枝を振りながら、先頭の村の長老か宮番の人が「こおとしも」と大きな声で唱えると、後に続く全員で「よいさー」と和します。こうした形で「らいねんも」「さらいねんも」「千年も」「万年も」「よりあって」と唱え、「よいさあー」と和し、神社を3周します。

 この祭りについて県文化財保護審議会委員の方が「素朴だけれど、昔の祭りの原点がある。700年余の歴史を大切にしたい」と評されました。この行事は2009年、片品村指定無形文化財となりました。

 現代人は余裕がなく、たいへんな勢いで時が流れていきますが、このような祭りに関心をもって、時には悠久の時の流れを大切にしたいものです。







(上毛新聞 2011年8月11日掲載)