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自然学舎「どんぐり亭」亭主  加藤 久雄(高崎市元島名町)



【略歴】新島学園高、同志社大文学部卒。高崎豊岡小教諭、樹木・環境ネットワーク協会員、グリーンセイバー・マスター。著書に『どんぐり亭物語』(海鳴社)。


大地の声を聞く



◎未来へ正しい選択を




 若いころ、時間ができるとアラスカによく出かけた。

 サーモンを釣る僕の横で、大きな水しぶきが上がる。ビーバーが「気安く近づくなよなあ」とばかりに尾で威嚇しているのだ。

 「ああ、ごめん。ごめん」と場所をかえて、対岸を見ると、ハイイログマの母親が、2頭の子熊のためにサーモンをとろうとしている。

 世界最大の鹿、ムースが、その巨大な角を振りながら、後ろのブッシュを通り過ぎていく。

 みんな結構忙しい。

 はるか昔と変わらぬ自然があった。そしてそこには、豊かな自然と共存できる人間が住んでいた。すなわち、インディアンとイヌイットである。どちらも自然を支配しない。克服しない。大地の声を聞きながら生きる人たちである。

 アメリカ本土の北西部にシアトルというインディアンの指導者がいた。

 彼は、部族の土地を手放さねばならなくなった際、アメリカ政府と条約を結ぶ場で、後世に残る演説を行った。その中で、シアトルは、こう言った。「空が金で買えるだろうか。先祖たちは、わたしにこう言った。大地はわれらのものでなく、われらが大地のものなのだ」

 豊かな自然体験を積み、自然を内に感じられるようになって初めて人は正しい選択ができるようになるのではないだろうか。

 アラスカで、知り合った日本人がこんな話を聞かせてくれた。

 「加藤さん。僕ね、ここに来たばかりの時、日本にいた時と同じように、車から飲み終わった空き缶を投げ捨てたんだ。次の日、同じ場所を通ったら自分の捨てた缶が、ポツンと見えた。他にごみは一つも落ちていなかった。次の日も、その次の日も、自分が捨てた缶だけが見えるんだ。まわりは見渡す限りの原野でね。3カ月たったある日、僕はとうとう、そこで車を止め、空き缶を拾ったんだ。その時、初めてアラスカの人間になれたような気がしたんだよ」

 アラスカ屈指の銃の名手は、そう言って、照れくさそうに笑った。もしかすると、彼もシアトルと同じように、大地の声を聞いたのだろうか。

 日本でも美しい四季を味わい、自然に寄り添う生き方が長い間、選択されてきた。江戸時代の終わりに日本を訪れたヨーロッパの人々は、日本を「世界一美しい国、妖精の住む国」とたたえた。パリのセーヌ川で、捨てられた汚物でメタンガスが発生し死者が出ていたころ、当時世界最大の大都市、江戸の墨田川では、白魚や鮎が遡上(そじょう)していた。

 未来の担い手の子どもたちのために、放射能で汚染された大地を残し、人間以外の命をごみのように扱う生き方が正しい選択だとは、僕にはとても思えない。







(上毛新聞 2011年8月12日掲載)