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生花店 有花園専務取締役  亀田 慎也(高崎市上和田町)



【略歴】高崎高、早稲田大教育学部卒。1998年から家業の生花店で働き、高崎青年会議所の活動にも携わる。高崎田町屋台通りを応援する「旦那(だんな)衆の会」代表。


物語を紡ぐ街や通り



◎魅力的な活用法考える




 高崎田町にある屋台で地産料理を肴(さかな)に杯を傾けていると、ふと面識もない方と話し始めていることがある。客人が「なぜこんなに駅から遠いところに作ったんですか?」とくれば格好のつまみで、この話題から屋台通りの成り立ちを切り出す。もともと場所を物色しているさ中では、もちろん駅周辺というのも考えていた。しかし、どうにもしっくり来ない。なぜだかわからないが、響くものが感じられない。あちこちあたってみたが、心躍る場所に出会えなかった。そんな折に声をかけていただいたのが今の田町通りの一角である。

 あまり印象にない場所だったが、妙な胸騒ぎがして自転車に飛び乗った。着くと思わず息をのみ「ここだ…」とつぶやいたのを今でも鮮明に覚えている。そこは裏にお寺の甍(いらか)を仰ぎ、すぐ境にはお墓が迫っている場所であった。なぜそこに魅力が感じられたのだろう? その時は知る由もなかったが、最近その訳がいくらかわかってきたような気がする。

 高崎田町と言えば「お江戸みたけりゃ…」とうたわれたところ。かつては上州人のみならず関東一円、信越、北陸から相集った場所でもある。人が集った場所には必ず記憶が埋め込まれており、そこには集うべくした物語が幾重にも積み重なっている。もう一つ、高崎を代表する通りと言えば「慈光通り」であろう。われわれの世代のみならず、高島屋、スズランへと続く目抜き通りは多くの人にとって思い出が埋め込まれた大切な場所である。とりわけ若者にとっては音楽やファッションをここで覚えたものだった。が、今はそのころと趣を異にしている。

 さて、ではこの趣を変えた通りに今後どのような物語を持たせていくのか。それを考えるのはこの時代に生きるわれわれの責任であろう。ノスタルジックに思い出をそのまま再現するということではない。人口が減り、車の販売台数が減る中で、にぎわいと人口集積地を目指すよりも、あえて「道」が持つ本質的な役割に目を凝らしてみたい。「道」はそこ退(の)けとばかりに車だけが往来するものではなく、歩けば人と出会い、立ち止まれば木々、花、鳥、虫から季節の移ろいを感じる。両側の家々にとっては通りもまた生活の一部でもある。

 都市計画の中で役割を変えた道はここだけではない。しかし、そのまま放置すれば、空き地にはアスファルトに覆われた駐車場がただ増えるばかり。大切な場所がさらに砂漠化してしまう。場所の記憶を浮かび上がらせる魅力的な使い道を生活者の視点でデザインする、そんなねらいもまた必要ではないだろうか。「お江戸みたけりゃ…」は決して東京の模倣ではない。市民自らが考える、高崎ならではの物語が必ず存在するはずだ。







(上毛新聞 2011年8月23日掲載)