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奈良ADHDの会ポップコーン教育相談員  西田 清(奈良県橿原市)



【略歴】東吾妻町矢倉出身。岩島中、渋川高、奈良学芸大卒。奈良県内の小学校、養護学校に勤務。奈良自閉症協会、奈良ADHDの会事務局長を経て現在教育相談員。


自閉症のN君と歩む



◎専門家らとの連携大切



 N君は今年46歳になった自閉症者です。現在は家業の三輪素麵(そうめん)作りを母親と一緒に行っています。彼は養護学校の高等部を卒業後、週の3日間は自閉症の施設で働き、3日間は自宅で素麺の製造に携わっています。彼は素麺製造の全過程に参加している熟練の技術者です。彼の作る素麺は、デパートでは最高級品のランクで販売されています。幼少期は重度の自閉症でしたが、母親ら家族の努力と、教師や自閉症協会の仲間のサポートがありました。

 最近は知的な遅れのない軽度自閉症(アスペルガー)の人がかなり多く存在することが分かってきました。一つのことに固執、集中するという自閉症の特性をうまく生かして、研究者や大学教授、医師等で成功している人もおられます。私の知り合いも、大学の教授や医師、音楽家等で活躍しています。

 私は渋川高校から、万葉集の勉強のため奈良学芸大学に進学。奈良で小学校の教師となり、10年後の1971年、自閉症の言葉すら見聞きしたことがない状況で、N君と出会いました。その当時、重い障害児には就学猶予免除という制度がありましたが、熱心な母親が障害児学級のある私の勤務校に転校させてきたのでした。

 当時は、専門病院や専門書もなく、どのように接して教育したらよいのか、全くの手さぐりでの出発でした。私も母親と全力で取り組み、大学付属の養護学校の友人の援助や民間教育団体の協力で必死に学びました。N君が小学校を卒業した後、私は養護学校へ転勤し、中学卒業後、N君が高等部に入学してまたかかわりが始まりました。

 N君に出会ってから今年で40年。ずっと彼や家族の方と一緒に歩んできました。障害が重いかどうかよりも、どのように育てられ教育されてきたのか、周りの専門家や障害者団体の援助を受けながらあきらめず努力を積み重ねてきたか―が発達と予後に大きく関係します。

 孤立した子育てでなく、幼児期から専門家や医療、療育機関、保育所や幼稚園、学校や自閉症協会等と連携しながら頑張れば道は開けます。他の発達障害を持っておられるお子さんの子育てにも、同じことが言えます。

 前回までの「視点」を読まれた読者から、電話での相談が20件ほどありました(電話番号は私のホームページ〈http‥//homepage3.nifty.com/naraadhd/〉に記載してあります)。内容は主に軽度発達障害と自閉症に関することでした。発達上の問題等ありましたら、できるだけ早く精神科医や発達相談員、教師に相談しましょう。






(上毛新聞 2011年9月11日掲載)