視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
.
藤岡市鬼石商工会事務局長  秋山 博(藤岡市岡之郷)



【略歴】日大法学部卒。1978年に中里村商工会に就職した後、県商工会連合会と赤城村商工会での勤務を経て2001年4月から現職。行政書士などの資格も持つ。


灯火親しむ



◎本に没頭した学生時代



 今年の夏は大変な暑さでした。そこに福島第1原発事故で節電ムードが重なり、日本中が暑い思いをしました。それでも彼岸を過ぎれば、暑さ寒さも何とやらで、これからはだんだんと涼しく、夜も長くなり秋本番を迎えます。秋と言えば、天高く馬肥ゆる秋を連想し食欲に思いをはせる人もいれば、灯火親しむべしと読書に思いをはせる人もいるでしょう。私はどちらかと言うと「灯火」の方で、読書にかけた思いを少し披歴してみたいと思います。

 私は大学に入るまでそんなに本が好きではありませんでした。大概は科学ものの本を読んでいて、小説は大嫌いでした。短編は少し読んでいましたけれど、長編は読んだことがありませんでした。なぜかと言うと根性なしの上に、長すぎて途中で飽きてしまうからです。ですから国語は大変苦手でした。でも、そんな私が大学に入って長編小説を読むようになり、しかも哲学書まで読むようになりました。

 私は工業高校から浪人して大学に入りました。どうしても大学で法律を勉強したかったからです。法学を勉強し将来はそれで飯を食っていこうと思ったからです。ですが大学2年の時、ある教授の法理論に大変な興味を持ち、それまで学んだ実践法学から理論法学へ方向転換しました。以来、その先生の講義は毎回欠かさず聞き、他大学まで先生の講義を盗講に行きました。それでも飽き足らず、先生の書籍を東京中の本屋や神田の古本屋で買いあさり、片っ端から読んだものです。今も先生の講義を記したノートを大事に持っています。

 読んだ本のなかに次のような記述がありました。「著作や論文のなかに哲学的香気や芸術的な香気を感じとることができないようなものであったなら、それは学術的論文として偽物であると判じてよいのである。すぐれた法律論文のなかにも、やはり、哲学と芸術とが蔵されてあるものである」。つまり哲学的感覚や美的素養のない者は、決して優れた法学者となりうるものではないと。これを読んですごく感動したのを覚えています。それからというもの、先生の思考に近づきたいと自分なりに独学で哲学を学びました。まずは哲学の入門書に始まり、カント哲学、ヘーゲル哲学、そしてマルクスの弁証法的唯物論と読みあさりました。その過程で学問の楽しさ、本を読む必要性を学びました。

 今は商工会の仕事で日々明け暮れし、じっくり腰を据えて本に親しむ時間はありませんが、来年は私も還暦を迎えます。いったんは途絶えた先生の法理論の研究を再開したいものです。読書にはちょうど良いこれからの秋の夜長、先生の書籍を本棚から引っ張り出し、ひもとこうかと思っています。







(上毛新聞 2011年9月28日掲載)