視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
.
音楽ライター  サラーム 海上(東京都世田谷区)



【略歴】高崎市出身。本名は海上卓也。明治大政経学部卒。2000年からフリーで執筆。和光大学オープンカレッジ講師。ラジオのレギュラーとしてDJも担当する。


目が離せないインド



◎映画に見る社会の転機



 この夏にインドで大ヒットした映画「人生は一度だけ」が、9月に東京で開催された「ラテンビート映画祭」にて日本初上映された。

 主人公はムンバイに暮らす建設会社の御曹司。結婚を前に学生時代の悪友2人、デリー在住でお調子者のコピーライターとロンドン在住で仕事中毒の株トレーダーとともにスペインへ3週間、独身最後の旅行に出かける。3人はスペインの広大な大地を車で走破し、スキューバダイビングやスカイダイビングなどの冒険を行う。その間に婚約者が追いかけてきたり、自由を求めて旅を続けるインド人美女に出会う。そして最後の冒険に挑むにあたり「自らの人生は一度しかない」と気づき、それぞれが人生における大きな決断をする。

 俳優たちはもちろん、脚本も音楽も演出も全てが素晴らしいので、ぜひ日本でも一般公開してもらいたい。インド映画に対する既成概念が崩れることは間違いない。

 さて、僕はと言えば、主人公たちに共感し、爽やかな気分になったのと同時に、インドでも「自分探し」が始まったことにも驚いた。家族や結婚、伝統や因習のくびきから解かれて、自分らしく生きるという考えは欧米や日本の映画ではごく当たり前のテーマだが、これまでインド映画では個人よりも家族や社会が優先されて描かれていたのだ。社会の転機が映画を通じて立ち現れたのだろうか。

 近ごろのインドからは明るいニュースばかりが伝わってくる。国内総生産GDPはついに日本を抜き、アメリカ、中国に次ぎ世界第3位となった。つい先日もデリー~コルカタ間の高速鉄道敷設のため、鉄道相が来日し日本に技術要請を行った。F1グランプリの開催も噂されているし、バブル時代の日本と同じ轍(てつ)を踏むなら、来年あたりボジョレ・ヌーボーが大流行するかもしれない。冗談はさておき、実際にインドを訪ねる度に少しずつ社会インフラが改善され、人々の暮らしも豊かになってきていることを実感する。

 しかし、日本とインドには大きな違いがある。かつての日本では国民の大半が鈴鹿のF1に興奮し、ボジョレに舌鼓を打ったが、インドは日本のように一枚岩ではない。文化的、言語的、宗教的にも多様な人間の暮らす社会を寄せ集めた、一つの国というよりも一つの惑星のような世界である。この映画を見て、次の休暇はスペインに行こうと思案する富裕層や中間層は数千万人いるかもしれないが、巨大なインド亜大陸の田舎に点在する小さな農村で、経済成長の恩恵を受けることなく暮らす人々はその数十倍も存在する。そのどちらもインドである。僕は「世界史上最も巨大な民主主義の実験場」と呼ばれる国インドからますます目が離せなくなった。






(上毛新聞 2011年10月5日掲載)