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前・伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館運営協議会長  大塚 富男(伊勢崎市下触町)



【略歴】新潟大大学院修士課程修了。地質調査会社勤務の後、1983年に学習塾開校。7年前、信州大で博士号(理学)取得。群馬大など3大学の非常勤講師。


地震の被害



◎歴史が訴える「備えを」



 群馬県では災害を伴う地震は少ないといわれている。地震学者である松田時彦氏はその著書の中で「北関東には活断層はごくわずかで関東付近でいちばん地震の少ないところは、群馬県とその周辺だろう」と書いている。また、地震被害が少ないということから、群馬県は地震保険の掛け金料率が最も少ないグループに帰属していることは興味深い。しかし、地震が少ないことと被害を受けることとは別の問題で、歴史を少しさかのぼると群馬県も大規模な地震に何度か見舞われ、災害も発生していたことがわかってきた。

 歴史時代のものは古文書や発掘された遺跡との関係で、歴史時代以前のものは地層中に残された地震の痕跡(液状化痕や断層)を観察することで明らかにされてきた。それらの概要を紹介したい。まず、約1・6万年前のものである。高崎台地(高崎駅を含む高崎市街地がある面)の縁の崖で見られるもので、約1・6万年前の地層が液状化(一般に目安として震度5以上で発生する)のために激しく曲がりくねっていることから推定された。同じ時代の地震痕は本庄市南方でも確認されており、同一の地震によるものならばある程度の広がりをもった大きな地震であったと思われる。 次に約1万年前の地震である。この地震による痕跡(液状化の痕)は高崎市以西の烏川地域の多くの地点で確認されている。特筆すべきは地震の直後に碓氷川や烏川流域から大規模な泥流が発生していることである。泥流は現在の高崎台地を広く覆っていることから今、同様の現象が発生すれば地震と泥流によって都市が壊滅するような大規模な複合災害が懸念される。

 さらに、818(弘仁9)年の地震があげられる。規模はマグニチュード7・5以上と推定され古文書にも記載されている大地震で、関東一円に大規模な被害をもたらした。特に赤城山南面で大規模な土砂災害が発生している。この地震による痕跡の詳細については1991年に当時の新里村教育委員会によって詳しく報告書にまとめられている。

 その後、震源地は県外であるが群馬県でも1923年の関東地震、1931年の西埼玉地震で人命や家屋に被害を受けた。近年では2004年の中越地震、今年の東日本大震災でも屋根瓦等に震動被害を受けている。昨年4月30日にマグニチュード3・9ではあるが、玉村町の地下20キロメートルを震源とする地震があった。そこは地表付近に新しい堆積物があるために地下の様子は直接観察できないが、平野の下には確実に活断層が眠っていると考えたほうが自然であることを教えてくれている。「群馬県は地震が少ない」。確かにその傾向はあるが歴史は地震に対する備えを忘れてはいけないことを訴えているように思えてならない。







(上毛新聞 2011年10月22日掲載)