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写真家  小松 健一(埼玉県朝霞市)



【略歴】岡山県生まれ。母の故郷・東吾妻町で育つ。第2回藤本四八写真文化賞、2005年日本写真協会賞年度賞。社団法人日本写真家協会会員。著書、写真展多数。


矢島保治郎その(6)



◎生誕130年事業を計画



 先月、2週間ほどかけて上州出身の探検家・矢島保治郎の足跡を訪ねて東チベット地方を2600キロ巡ってきた。2006年から計6回の取材となり、車での走行距離は約1万9500キロとなった。

 今回は矢島が1年間滞在した成都を出発点に、彼が歩いた、かつては「命の道・祈りの道」といわれた茶馬古道、現在の川蔵公路を進んだ。そして矢島が西蔵入りを準備しながらその機会をうかがっていた打箭炉(ダルツェンド)(現在の康定(こうてい))へ。この町には昨年5月にも来ているのでなつかしい気がした。

 矢島が康定から故郷・上州へ送った手紙には「打箭炉は人口約一万余、西蔵人七分、三分支那人。現今奧より蛮人商隊の東下し、市内には仁王の如き西蔵人往来し一奇観にて候」と書いている。現在は廿孜(ガンゼ)チベット族自治州の州都、人口約15万人へと発展している。

 標高2700メートルのこの町で2日間高所トレーニングをした後、いよいよ横断山脈に連なる折多山峠(4298メートル)を越え、純粋のチベット族が暮らす地域に入る。矢島はチベット入りする3カ月前にも単独で康定から調査のため3日間歩いて「チリコ」という所に泊まっている。この場所を特定したくて地元の老人たちに聞き歩いたが、そんな地名はないという。矢島の手紙には「チリコ」の先は道が険阻で、集落がなく高地のため気象が苛烈だと書いてあることから推測し、折多山峠の下にある「折多塘(ゼットタン)」という集落ではないかと思った。標高3300メートルで、康定からちょうど3日間で歩いてこられ、この先には集落はない。 横断山脈の主要部となるこの東チベット地方は、世界の登山家、探検家、学者たちから今もって未知なる山域として注目されている。チベットの玄関口、金沙江の河畔に位置する巴塘(パタン)までには、折多山峠のほかに、高爾寺峠(4412メートル)、剪子弯山峠(4657メートル)、カズラ山峠(4778メートル)、海子山峠(4675メートル)と主な峠だけでも五つある。

 この間、約500キロであるが、その間は一部を除いて4千メートル以上の高地が続く苛酷な道程である。今回同行した若い写真家はひどい高山病にかかり、撮影どころではなかった。矢島はこの道を100年前に独りで歩いてきたのかと思うと熱いものがこみ上げてくるのを抑えられなかった。

 途中に世界有数の高所にある聖地・理塘(リタン)(4千メートル)がある。突然現れたオアシスのような町だった。多くの外国人宣教師、僧侶、学者、探検家らのチベット入りを拒んだ金沙江(長江の上流)の流れはいまも滔々(とうとう)として、僕らのチベット自治区入りを拒んでいた。

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 来年秋に、矢島保治郎生誕130年記念事業を上州の地で計画している。県民の皆さんのご協力を心からお願いしたい。   合掌







(上毛新聞 2011年10月26日掲載)