視点 オピニオン21
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なかや旅館社長  阿部 剛(みなかみ町湯檜曽)



【略歴】沼田高、新潟大経済学部卒。1994年に実家のなかや旅館に入り、98年から現職。著書に『1日10分!「おもてなし」ミーティングがあなたのチームを強くする』。

おもてなしする生き方



◎周りにも、自分にも



 私は、趣味の音楽(新潟メモリアルオーケストラ)を、大学時代から今も続けている。指揮者でお世話になっている山岡重信先生が、以前の演奏会を振り返り、こんな言葉を口にした。

 「俺(おれ)も(その時の自分のことを)まぁまぁだな、と思ったよ」 もう80歳の先生が、長い音楽人生の中でも、記憶に残る演奏会といえるほどよい出来栄えだったのだろうが、そんな、誇れるような結果を残した時の自分に向かって、「俺は、まぁまぁだと思う」という、この言い方が私はとても好きだ。

 謙虚さを生き方の美徳とする日本人らしさはキチンと残り、それでいて自分が成し遂げたことの確かさやそこに関わった自分への信頼など、派手ではないが、地に足の着いた自信のようなものがうかがえる。

 そして、この「まぁまぁ」という自己肯定の表現は、自己満足やエゴとは全く種類の違うものだ。

 自分の人生を振り返って、思い出に残るような結果を残すには、まず「自分をおもてなしする=大切な存在であると考える」ことから始まるのではなかろうか。

 この「自分をおもてなし」という表現に共感できなければ、「私は、ここに必要な人間であろうと思うこと」と言い換えたらどうだろう。

 「私は大切な存在である」という思いは、「自分の周りの人間もまた大切な存在である」と思えた時、はじめて成り立つと考える。

 今回の原稿を書くに当たり、山岡先生や群馬交響楽団元コンサートマスターの風岡優先生からとてもよい刺激をいただいたのだが、逆に言えば、あまりにも自分の都合を主張したり、または周りに無関心が過ぎるような人は、結果、自分自身を軽んじている=自分へのおもてなしが十分でない、ということに繋(つな)がるのではなかろうか。

 話を旅館の現場に移すと、今年の夏、当館ではそんなふうに思えてしまう残念な出会いが複数あった。残念な出会いとなってしまった20代の彼らは、真の意味で、本当に自分のことを大切にしているのだろうか。彼らには、がんばってくれ、としかいえないが、私自身は精いっぱい、おもてなし溢(あふ)れる生き方、おもてなしを届ける生き方をしていきたい…。周りにも、自分にも。

 私は渋川の理髪店に通っている。そこのお母さんが、「あなたのオピニオンの記事、全部切り取ってあるんだよ」と切り抜きを嬉(うれ)しそうに見せてくれた。そして、その笑顔の嬉しそうだったこと。その笑顔が、また私をおもてなししてくれた。

「自分も、まぁまぁだったのかな」と思えたありがたい瞬間だった。






(上毛新聞 2011年11月1日掲載)