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県立女子大非常勤講師  新井 小枝子(藤岡市中大塚)



【略歴】藤岡市生まれ。県立女子大卒、東北大大学院修了。博士(文学)。専門は方言学、日本語学。近著に『養蚕語彙の文化言語学的研究』(ひつじ書房)。



生活のなかの養蚕ことば



◎世界に誇れる文化遺産



 養蚕のさかんな群馬県には、<蚕>を飼育するときにつかう「養蚕ことば」がたくさんある。かつて、養蚕の隆盛期には、県内の各地で、多くの人たちによって交わされてきた。今では、そのことばをきく機会も少なくなった。しかし、養蚕業の世界を飛びだして、日常生活のなかでつかわれている養蚕ことばがある。

 あるとき、地域の人が集まって、共同作業をしている場面に居合わせた。作業の内容は、群馬のブランド苺<やよいひめ>の苗の世話。集まっていた人たちは、藤岡市にくらす、昭和28年以前に生まれた皆さん。作業もだいぶ進み、お茶の時間にさしかかった。きりのいいところまで作業をすませた人から、順々に休み始めたときのことである。

 「こっちぃ来て、早く休みなよぉ」と、先に休憩にはいった人たちから声がかかった。「うーん、私たちは遅く来たんに、一緒になって休んでちゃあ悪いから……」と、一向に手を休めないでいる人がいる。すると、つぎの返答は「いいんだよぉ、そんなこと言わなくも。ヤスマズはねぇ、川に流しちゃうよ」。昭和44年生まれの私の頭の中は、?マークでいっぱいになったが、みなさんは「川に流されちゃあ大変だから、休ませてもらうか」と応じて、たちまち一緒にお茶を飲みながらの、たのしい休憩時間となった。

 会話の中のヤスマズ(休まず)。これが、養蚕ことばである。<蚕>は、<繭>をつくるまでの間に、4回の休眠と脱皮をくりかえす。同時期に生まれた<蚕>は、たいていが一斉に休眠するが、中には歩調をみだすものがある。それがヤスマズだ。その<蚕>は、他のものと別にして、「川へ流して処分をする」という習慣があったという。

 先の会話は、このような養蚕業の現実を反映している。会話につかわれたヤスマズは、「皆が休憩時間をとっているのに一緒に休まない人」のことを言ったもの。見立てによる表現である。さらに、「川へ流して処分をした」という習慣を背景に、休憩を渋っている人に、休憩せざるをえない状況をつくってしまう。

 養蚕世界を共有する人たちによる、養蚕ことばを媒介にした、奥の深いやりとり。皮肉をこめながらも、どこか優しくて温もりのあるすてきな会話だ。ヤスマズは、養蚕世界をはなれていても、背後には、具体的な養蚕世界をしっかりと背負っている。群馬の人たちは、日常生活をおくるにつけても、養蚕の宇宙に生きている。そういうみなさんの「声」にのったことばは、じつに力強くて温かい。

 養蚕の宇宙がひろがる群馬の方言社会には、養蚕ことばと、それを紡ぎだす人びとの心に支えられた、ゆたかな言語生活がある。これもまた、世界に誇れる文化遺産である。





(上毛新聞 2011年11月3日掲載)