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県衛生環境研究所所長  小沢 邦寿(前橋市岩神町)



【略歴】大阪府豊中市出身。東大医学部卒。帝京大市原病院外科助教授、県循環器病センター(現心臓血管センター)副院長などを経て、2001年から現職。


麻しん制圧



◎予防接種は正常体制へ



 Wカップ・サッカー、といっても2002年日韓共同開催時の裏話である。各国選手団は麻しん(はしか)のワクチンを事前に接種して大会に臨んだ。不名誉なことに、当時の日本は麻しん蔓まんえん延国であると位置づけられており、麻しんの免疫を持たずに日本に入国することは感染のリスクが高いと見なされていたのである。麻しん対策は途上国並みというのが、わが国に対する世界の保健関係者の共通認識であった。ちなみにブラジルは当時すでに麻しん排除状態にあった。

 感染症は人間の社会活動とともに流行を繰り返してきた。人が密集して住めば病原体に好都合な環境を提供することになる。現在でも感染症はどんな戦争よりはるかに多くの人命を奪っている。このような感染症の脅威を防ぐというのが公衆衛生の大きな目的の一つである。しかしながら、わが国の感染症対策は失態ばかりが報道され、その功績が正当に評価されることが少なかったように思われる。そこで衛生行政に携わる者として、最新の成功事例をお知らせしておきたい。

 それは、麻しんの制圧である。数年前まで日本では年に1万例を超す麻しんの発生があり、年間100人ほどの死亡例(多くは乳幼児)があったものと推定されている。しかし、2007年の流行で、大学などの休校が相次いだ事態を受けて麻しんの予防接種が強化され、その結果、麻しんは見事に減少した。昨年、今年と麻しん発生数は300程度(死亡例なし)に激減し、しかもそのうちの相当数は外国からの輸入例であることが判明している。すなわち、紆う余よ曲折を経て、ようやく日本も麻しん排除を達成したといえる。

 麻しんは発症すれば有効な治療法はなく、子供たちに重篤な合併症や後遺症を引き起こし、悪くすれば死に至る危険な病である。唯一の方策は予防接種しかない。これに対し、予防接種は個人の選択の問題であり、受けない権利も尊重されるべきとの主張がある。しかし、これは大変危険な考え方であり、集団の安全より個人の自由を優先させることは、こと感染症に関しては筋違いである。共同体に仲間入りするためには相応の義務も果たさなければならない、という理念が成員に共有されていることは先進国である証しの一つである。

 わが国の予防接種行政は長い混乱期を脱して、ようやく正常な体制を築きつつある。ワクチンの安全性も格段に向上し、副反応被害への補償も制度化されている。ワクチン禍を誇大に喧けん伝でんし予防接種全般に疑問を投げかけた過去の行き過ぎた主張については、メディアも含めて検証が必要であろうが、それはそれとして公衆衛生関係者の悲願であった麻しん排除が事実上達成されたことを報告し、素直に喜びたい。






(上毛新聞 2011年11月26日掲載)