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新島学園中学・高校校長  市川 平治(高崎市倉渕町)



【略歴】東京農工大大学院修了。14年間の県立高校教諭を経て、家業の林業経営。旧倉渕村議を12年間務め、2002年から4年間、最後の旧倉渕村長。07年から現職。


合併への経緯



◎「足し算」施策にかける



 今回、私は主として「私学教育」という立場で執筆させていただくことになったわけだが、私の今日の立場を考える時、ここに至った経緯として、まず、市町村合併の話題にも触れさせていただきたいと思う。

 もちろん、合併の是非論や合併対象の枠組協議の経過等々に関して、歴史として客観的に語り合うには、まだまだ多くの時間が必要であり、また、合併の結果についての得失を論ずるのも時期尚早だろう。

 しかし、当時、広域圏市町村の中で、最小規模の自治体の運営責任を負っていた当事者の一人として、合併を決意するに至った過程をお話しすることに、特に大きな差し障りはないものと思う。

 さて、行政効率の面などから、町村の適正規模に関する論議は以前から頻繁になされてきたが、今回の大合併の現実的なスタートは、2000年4月施行の地方分権一括法による「合併特例法改正」からと言ってよいだろう。

 私の村長就任は02年5月であるから、既に大きな「うねり」は生じており、村の広報紙でも01年12月号からシリーズで「合併を考える」という啓発記事を掲載し始めていたが、村内では合併に対する実感は、まだ薄かったと言える。

 それが現実味を帯びたのは03年の村民アンケートである。結果は、約43%が肯定的、約20%が否定的、約27%が中間的な回答であった。この結果で、倉渕村民は、枠組み(合併相手)の選択は別として、合併そのものは容認していると判断できることとなった。

 しかし、この時点でも、まだ私の気持ちには、合併への迷いがあったことは事実である。

 そんな時、全国的に注目された東北地方の某町の「合併しない宣言」が、逆に私に合併推進を決意させるものとなった。

 当然、某町に独自の事情のあることは理解し尊重するが、私は独立の裏付けとして示された事項のほとんどを「引き算」だと受け取ったのである。具体的には、職員や議員を減らし、報酬を削減、公共事業の縮小等、節約策で対応しようというものである。

 そこで感じたことは「確かに自分たちの世代は、自分たちのポリシーを貫けばよいだろう。しかし、次の世代にまで我慢を強いることができるだろうか?」という思いだった。このことで、私は合併によるスケールメリットを生かした新しい展望、つまり「足し算」の施策にかけてみたいと考えるに至ったのである。

 新しいスタートを切って5年半、まだ戸惑いや不安は少なくないものの、新市が一体となっての「足し算」施策に期待したいと思う。また、物事を「足し算」で考えるというプラス思考は、子供たちの良い面を伸ばす教育の世界にも共通であろうと考える。








(上毛新聞 2011年11月28日掲載)