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iikarakan/片品生活塾主宰  桐山 三智子(片品村菅沼)



【略歴】横浜市生まれ。東京都内の雑貨店勤務後、田舎暮らしを求めて2005年に片品村に移住。自然農法に取り組み、炭アクセサリー作家としても活動する。


いいからかんライフ



◎持続できる暮らし学ぶ



 都会の暮らしは持続可能ではない。8年前、24歳単身で片品村にやってきた私は、村の人が当たり前にしている暮らしこそが持続可能な暮らしなのではないかと、村に定住し自ら実践して暮らしを学ぼうと決めた。村のお母さんたちのように笑顔の素敵なお母さんになって家庭を築くことが目標である。

 汗をかきながら畑作業をして、育てた野菜や味み そ噌、手作りの食事をみんなで食べる。お金で買うことは簡単だけど、お金を使わないように一手間かけて工夫すること、必要最低限のお金を生み出すことを村の人たちから教わった。そして私は自分が教わって実践している暮らしを、私と同じような都会の若者たちに、一緒に暮らし伝えていく片品生活塾を主宰している。

 村に来た当時は現代社会のさまざまな問題に不安を感じ、背負いこみ、「日本を変えなくちゃ」と勝手な使命感を感じていた。村に早く溶け込みたくて、村には村のルールがあることも知らず、無礼なことをしてきた。“地雷”を踏んだ経験もある。

 そんな私を変わらない態度で受け入れてくれたのは村のお年寄りだった。6年前から始めた糀から仕込む味噌作り。生活研究グループとして40年前から味噌加工所でおばあちゃんたちは仕込んでいる。最初は重い米を持つのに大変だろうと、教わりながら手伝ってあげている気持ちでいた。しかし、毎年続けることで、米や大豆を栽培することはもちろん、仕込むまでのさまざまな準備、都会の若者を引き連れて来る私たちへの目に見えない気配り、心配り―いろんなことを知って気持ちに変化が生じた。

 今、味噌加工所で仕込むことができるのは、スキー場などの繁栄で村が変化しても、おばあちゃんたちがずっと変わらずに毎年続けていたからではないか。歴史あるこの加工所で私はお手伝いさせていただいているのだ。今までなんて傲ごうまん慢だったのだろうか。それからの私は変わった。背負い込んでいた勝手な使命感も消えた。それはおばあちゃんたちの口癖からかもしれない「おらーいいからかんだ」。いい加減という意味の方言。しかし、いい加減にできるのは熟知しているからこそであり、戦後何もないところから今の暮らしを築いてきたおばあちゃんたちの魔法の呪文のように感じた。

 この村でパートナーと出会うことができ、2人で経営するお店を「iikarakan」という名前にした。今の若者は先の見えない社会で暮らしていかなければならない。考えるだけで不安だが、前に進まなくては。いつかおばあちゃんになった時、かつての時代の開拓者たちが教えてくれたように、私も若い人たちに伝えたい。「おらーいいからかんだ」と。






(上毛新聞 2011年12月7日掲載)