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群馬製粉社長  山口 慶一(渋川市渋川)



【略歴】日本大学大学院修了。群馬製粉3代目社長として洋菓子用米粉「リ・ファリーヌ」や国産米100%の「J麵」を開発。食糧、気象などに関する著書多数。


人生は人との出会い



◎水木しげる先生と交流



 昨年、NHKのドラマ「ゲゲゲの女房」が大ヒットしました。私はドラマの内容もさることながら、感謝の気持ちでいっぱいでした。

 話はさかのぼり、1978年2月6日、私の祖母山口ミツエが他界しました。身近な人が亡くなるのは初めての経験であり、生まれたときから溺愛してくれた祖母が亡くなったことは大きな悲しみでした。花札が大好きだった祖母は、いつも鹿児島弁で話すので、母が通訳してくれないと話が通じませんでしたが、そばにいるだけで大きな愛情を子どもながらに感じ、いつも安心していられました。当時、私は15歳で多感な時期にあり、心にぽっかり穴があいたような絶望感に浸る日々が続きました。

 そんな折、子どものころからお化けに興味があり、「鬼太郎」の大ファンであった私は、死後の世界について何か教えてもらえるのではないかと、何度か水木しげる先生に手紙を出したのです。しばらくすると水木先生本人から手紙が来るようになり、一度会ってみてもいいということで調布のご自宅に訪問することになりました。先生のご自宅は駅からかなり遠く、迷いながらたどり着いたこと、初めて尊敬する方にお目にかかることにかなり緊張したことを覚えています。

 しかし、先生は初めての訪問というのに私を大変温かく迎えてくれました。私は大変感激しました。先生は非常に人間味があり、大変面倒見の良い人でありました。先生にお目にかかったことにより、当時ふさぎ込み、真っ暗であった私の心は徐々に落ち着きを取り戻し、明るくなっていくことが自分でもよく分かりました。その後も先生と仲良くしていただき何度も訪問するようになりました。そのとき、先生から「若いときはいろいろなことを経験して、自分が好きなことに専念しなさい。そして、しないではいられないことを探して、それを一生懸命やり続けなさい」と教わったことが、その後の私の人生に大きな影響を与えることになりました。

 最初は一度だけの訪問のつもりが、先生に気に入っていただいたのか、先生宅に泊めていただくまでになりました。奥さまに手料理も作っていただき、大変親切にしていただいたことは、今となっては大変貴重な思い出となっています。私のここまでの人生を振り返ってみると、人生の節目、節目で人との出会いがあり、その方たちのおかげで精神的に大きく成長することができたと確信しています。現代社会ではスマートフォンや携帯電話、パソコンの普及で大変便利な世の中になりましたが、人との出会いや人との関わりは非常に希薄になってきていると思っています。私はこの便利な世の中をもう一度考え直し、原点に戻る時にきているのではないかと思っています。






(上毛新聞 2011年12月18日掲載)