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県自然環境調査研究会会員  谷畑 藤男(高崎市竜見町)



【略歴】群馬大教育学部卒業後、理科教諭として千葉、群馬の小中学校に38年間勤務。日本野鳥の会、県自然保護連盟、県自然環境調査研究会などに所属。


地球を渡る鳥



◎休耕田が貴重な渡来地



 かつての東京湾は水田や蓮(はす)田、葦(あし)原の移行帯を挟んで遠浅の海が広がり、全国でも有数の渡り鳥の中継地であった。

 1971年8月、初めて新浜を訪れた。地下鉄東西線行徳駅前から広がる田畑にはブルドーザーやダンプカーが砂煙を巻き上げ、急テンポで埋め立てが進んでいた。しかし、御猟場の林や行徳丸沼、堤防を隔てて広がる干潟には多数の水鳥が群れていた。潮の引いた干潟では数千羽のシギ・チドリ類(以下シギチ)がカニ、ゴカイ、貝類を個性的なくちばしで捕食する。キョウジョシギ、メダイチドリ、ダイゼン等図鑑的知識が通用したのはわずかで、未知の鳥たちが目の前で餌を追っていた。

 シギチの多くはツンドラ付近の高緯度地方で繁殖し、赤道付近で越冬する。長い渡りの途中、栄養を補給するために、春秋の年2回、日本の水辺に立ち寄る「旅鳥」であり、日本ではチドリ科12種、シギ科52種が記録されている。

 習志野市で暮らした2年間、シギチを観察するため、東京湾の干潟に通い続けた。春の渡り時は美しい繁殖羽のシギチも数カ月後、秋の渡りで別種のような姿に換羽する。ハマシギ、ダイゼン、シロチドリが干潟で多数越冬していることを知った。また「干潟を守る会」「日本野鳥の会千葉県支部」の調査や自然保護活動にも参加でき、学ぶことの多い千葉時代であった。現在、東京湾の干潟は大部分が埋め立てられ、近代的な団地や工場、レジャー施設、高速道路や鉄道に変貌した。わずかに点として残されている小さな干潟である保護区や臨海公園には、数は激減したが今でもシギチが渡来する。

 1984年8月、玉村町の農道に車を寄せ、浅く水の入った休耕田でシギチを観察する。タカブシギ20羽が水辺で、トウネン2羽は浮き草の中で採餌している。隣の休耕田からムナグロ4羽が飛来する。

 政府は70年より過剰米対策として生産調整を実施した。水田の10~15%を休耕するという減反措置が進められ、その結果、水田地帯に休耕田という特殊な環境が出現した。80年代に入ると、休耕田に飛来するシギチが話題になる。東京湾埋め立てという大規模な自然破壊を見たため、干潟を失ったシギチが迷行したと直感した。しかし調べてみると、河川の中州や水辺を渡っていた淡水性のシギチが休耕田に飛来し、観察が容易になったということらしい。現在、休耕田は群馬県における貴重なシギチ渡来地になっている。

 自然破壊、保護、政治、コスモポリタン、識別、多様性等、さまざまな思いを人々の心に残し、日本の「残された干潟」や「保護区ではない休耕田」に地球を旅するシギ・チドリ類が飛来する。





(上毛新聞 2011年12月24日掲載)