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「里見の郷」フェスティバル実行委員長  中嶋 講二(高崎市金井渕町)



【略歴】「里見の郷」推進実行委員会事務局長として里見氏の顕彰に取り組む。2011年1月まで20年間経営した書店でギャラリーを併設し地域の文化活動にも尽力した。


里見氏核に地域づくり



◎城跡の草刈りが第一歩



 私が生まれた旧榛名町里見地区(現高崎市)は、古くは「上野国碓氷郡里見郷」と呼ばれ、全国の里見氏発祥の地でもあり、新田義貞の誕生の地とも言われています(1154年=久寿元年、始祖義俊が里見郷を所領とした)。

 里見氏発祥の地の歴史性を生かした地域づくりをめざして、2008年に「里見の郷さと」推進実行委員会が発足しました。

 その前年から、里見氏に関する歴史講演会を開催して今回で第6回になります。今年は9月24日、地元企業や群馬県の支援をいただき、榛名文化会館で「里見氏ゆかりの三都物語」と題して歴史フォーラムを開催しました。

 発祥の地・高崎市、終焉(しゅうえん)の地・鳥取県倉吉市、「南総里見八犬伝」で有名な千葉県館山市の3市関係者が最近の活動や研究動向を報告、大反響を呼びました。200人近くの出席者があり意義深く、地域間交流がさらに深まり無事終了しました。

 「里見の郷」推進実行委員会の立ち上げについて「きっかけ」をのべたいと思います。

 もともと幕末の歴史が大好きで、10年くらい前から、倉渕地域の小栗上野介顕彰会に参加していました。小栗顕彰会で学んだ地域活動の経験を地元里見地域に生かせないかと考えるようになりました。

 6年ほど前、旧榛名町が平成大合併のうねりで自立か合併かで町を二分して大きく揺れ動きました。地域が埋没し、のみ込まれてしまうのではないかという危機感があり、「地域の歴史や文化」を次の世代に伝えていかなければと強く思うようになりました。

 あるホームページに里見城跡のことがあり「始祖義俊が築城した城跡を訪れ、草が茫々(ぼうぼう)と伸び、荒れた城跡に失望した」という感想を読み、地元の人間として「何て恥ずかしいことだ」と思いました。歴史を語る以前にやることがある。城跡を訪ねてくれる人に「最低限の礼儀」として、草刈りや清掃だけでも続けてやろうと決断し、地元の里見氏一族、地域づくり団体、倉渕のNPO法人などの有志と相談しました。最初は30人近く集まり、大がかりで大変でしたが、草刈り作業をしました。以後、毎年定期的にやっています。ここから「里見城跡復興事業」の第一歩が始まっており、将来的には公園化されればと願っています。

 地域のあり方に対しては、評論家ではなく、少しでも行動に結び付くことをしなければと常々思っていました。里見氏に関する講演会や地域の魅力を発信する多彩な企画展「里見の郷フェスティバル」を地域に根付かせるために、これからも1年に1回続けることが大事と思っています。






(上毛新聞 2011年12月29日掲載)