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アドベンチャーレース・マネジメント  竹内 靖恵(みなかみ町鹿野沢)



【略歴】愛知県出身。1997年のアドベンチャーレース(AR)で日本チームの通訳を務めたことが縁でプロレーサー・田中正人と結婚。以降、ARの普及活動に従事。


ARへの第一歩



◎アシスタントも過酷



 日本ではまだ、なじみの浅い「アドベンチャーレース(AR)」。この競技に人生を懸けて取り組んでいる人物がいる。国内第一人者で、チームイーストウインド(EW)のキャプテン田中正人だ。

 私が彼と出会ったのはAR史上最も壮大で冒険的で、権威あると言われるレイドゴロワーズだった。このレイドゴロワーズが1997年に南アフリカで開催されることになり、EWは出場するにあたり通訳を探していた。そのころ、私は愛知の三河地方で自動車部品メーカーに勤め、翻訳業に従事していた。ある日、友達から「知り合いがARの通訳を探しているんだけど、行かない?」と声を掛けられた。それまでの私はアウトドアとは無縁で、ARが一体何なのか、何をするのかも見当つかないまま好奇心だけでEWのチームアシスタントになった。

 「えっ! ホテルじゃなくて、テントですか? 2週間も? お風呂もトイレもないんですか?」。レースが始まった時の私の第一声。アウトドアは選手だけではない。アシスタントも奥深い山でテントに寝て川で洗濯し、チームの装備を整えながら車で720キロメートルを移動しなければならない。寝袋すら見たことがなかった私のARという未知なる世界への第一歩は南アフリカの大地だった。

 その大会に出場したのは55チームで、アジアからはEWのみ。激変する天候や昼夜の寒暖差に苦しんだが、そこに行った者だけが出会える手付かずの大自然は圧巻だった。標高3千メートルでは自分の立つ崖の下に雲があり、その下に点のように街がある。そこで人々が日々の生活を営んでいることが不思議にさえ思えた。

 レースは不眠不休。人は追い込まれながら動き続けると我が出る。やがてその我が強い自己主張となり、けんかとなる。EWもチーム崩壊の危機に直面した。レースを続けるか、棄権するか。私たちは一晩掛けて話し合いをし、個々の思いをぶちまけた。そしてチームで出した結論は「みんなで田中正人をゴールさせよう」だった。田中のARに対するまっすぐに凛(りん)と伸びる情熱に打たれたのだ。

 そこから私たちの快進撃が始まった。どの選手も疲労困憊(こんぱい)が極限に達し、参加チームの半分以上が棄権するという過酷な状況で、粘り強い精神力で最後まで闘い続けたEWは見事11位で完走した。日本チームをゴールに導いたのは「和」と「侍魂」。ARという新スポーツには「日本人の文化に通じるものがある。ニッポン人は真に強い」とあらためて感じた。

 自然豊かなみなかみ町を「AR発信の地」として移住した田中正人に嫁いで今年で10年。ARへの情熱は年々と濃密になっていく彼の傍らで、私はひそかに思う。「田中正人をゴールさせよう」。






(上毛新聞 2011年12月30日掲載)