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◎地域文化を映像に残す 煙突は見えていた。いつも通った商店街の、小さな食堂の角を曲がった。 のれんが出ていなかった。裏の門も閉まっている。いつもなら薪を燃やしている場所だ。胸がざわざわした。長いこと、そこに誰もいないような気がした。 「もしかして、銭湯、やめちゃったんですか」。老婦人は立ち止まった。「ええ、もうやっていませんよ」 ぐらり、と地面が揺れたように感じた。まさか。 「番台にいた、おじさんとおばさんは?」「引っ越していきましたよ。土地の持ち主が、マンションに建て替えることにしたって」 猫は、どうしたろう。女湯の湯船の横をすりぬけて、ぬれたタイルの上を堂々と往来していた、あのぶち猫は。 月下美人は、どこへ行ったろう。月下美人が咲く晩は、最後までいると男湯の脱衣所に入れてくれた。大輪の花は二つも三つも同時に咲いて、「暖かいから、よく育つんだよ」。番台のおじさんは自慢げだった。 映画学校に入学し、初めての課題の撮影で向かった場所が、東京・台東区の入谷だった。テーマは銭湯。登場人物は知り尽くしていた。なにしろ春夏秋冬を2回、そこで過ごしたのだ。 「やめてもう、ふた月になるかね」。老婦人は言った。せめて、あと3カ月でも来るのが早かったら。怒り、諦め、くやしさ、あほらしさ、憤り、いろんな感情が帰り道に押し寄せた。 ぶち猫がいて、洗い場の白いタイルが六角で、月下美人が夏に咲き、おじさんが毎日廃材をくべていた、あの銭湯でなければならない理由が、私にはあった。 あれから数年。 「あと少し、早く来てくれたら」。一昨年、上三原田歌舞伎舞台を初めて訪れた私に、地元の方が言った。 入谷の銭湯を思い出した。「亡くなったの、5、6年前だったかなあ。都橋清韶さんがいたら、もっと教えてあげられたのに」 世帯数がたった180ほどの渋川市・上三原田地区が保有するのは、日本最古の廻(まわ)り舞台である。今も200年前と同じく、すべて人力で動かして現役だ。 歌舞伎の日、喝采を浴びる表舞台を支えるのは、屋根裏や地下の奈落にいる一日あたり延べ80人もの人々だ。そこに入れるのは昔から、上三原田の家の長男と決まっていた。 ようやく昭和の時代になって、次男や婿も入れるようになったが、舞台の操作方法のマニュアルなどはなく、人から人へと技術が伝えられてきた。そんな中、長老がひとりいなくなる損失は大きかったはずだ。 すべてのものが、次々と失われていく。人だけではなく、物も、建物も、風景も、知恵さえも。なくなってから初めてその価値に気づくのでは遅い。今、貴重な地域の文化財産を映像に残しておかなければ―新年を迎え、あらためて決意した。 (上毛新聞 2012年1月1日掲載) |