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NPO法人「三松会」理事長  塚田 一晃(館林市高根町)



【略歴】東京都出身。曹洞宗大本山總持寺などで修行後、源清寺副住職に着任。1995年に三松会設立。両毛地域初の阿波踊り団体「上州みまつ連」代表も務める。

お寺の本来の役割



◎人々の心のよりどころ



 お寺の本当の役割って何だろうと、最近悩むことが多くなってきました。 高齢者からは「昔はお寺が一番安心して遊べる場所だった」という声をよく聞きます。お寺というものは本来、みなさんの心のよりどころであり、集いの場でありました。

 しかし、最近は「お寺は敷居が高くて近寄りづらい」とみなさんから言われます。こうなった原因は深く突き詰めていくと、明治維新の廃仏毀釈(きしゃく)から始まって、お寺に家庭が入り込んできた等々、さまざまな要因が重なって歴史が作り上げたのも一つの原因だと考えられますので、お寺だけの責任ではないとは思います。ただ、だからといって、現状に溺れ、お寺として僧侶として、葬式・法事を執り行っているだけなら、ますます敷居が高くなって本来のお寺の意義が失われてしまう気がします。

 最近は本堂を使いコンサートをしたり、催し物をするお寺がどんどん増えています。それは、仏教界全体が危機感を感じ、このままではいけないと立ち上がったお寺が、敷居を低くし、地域の人たちが気軽に集えるお寺にしようと行っているもので、本来のお寺の姿そのものではないでしょうか。

 お寺とは本来、地域の人々の心のよりどころでなくてはならないのです。世間では仏教の危機とささやかれていますが、私はそうは思っていません。葬式仏教は確かに危機ではありますが、仏教そのものへの関心は、むしろ高まっていると思います。本屋に行っても仏教書は平積みになっているし、よく売れています。これは人々が心のよりどころを求めている証拠なのですが、それに応えているお寺が少ない気がします。

 先日、私は東日本大震災後の「被災者が、今、何を求めているか」というシンポジウムに招かれ、被災地区で心のケアをしている精神科医の話を聞こうとしたら、それは本来お寺の仕事だと一喝されました。

 精神医療はまだ歴史が浅く、異常をきたしている方の治療法はあるが、正常な方が突然見舞われた精神治療はまだ確立されておらず、被災地に出向いて活動されていた精神科医はみな、抱えきれなくなり帰られたそうです。でも、僧侶は話を聴き悩みや苦しみを抱えても、祈りという放出できるものをもっているのだから無限に受け入れることができる。だから今こそ本来のお寺・僧侶としての意義を取り戻してほしい、と。

 それにはまず、僧侶自身が祈りをとり戻し、人々に祈りの心を伝えることができるようにならなくてはいけません。祈りの心が伝わらなくては何に関しても、ただの儀式の執行者でしかないのです。そのとき初めて、地域・社会の心のよりどころになり、本来の姿に戻ることができるのではないでしょうか。





(上毛新聞 2012年1月12日掲載)