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県衛生環境研究所所長  小沢 邦寿(前橋市岩神町)



【略歴】大阪府豊中市出身。東大医学部卒。帝京大市原病院外科助教授、県循環器病センター(現心臓血管センター)副院長などを経て、2001年から現職。


地域での環境研究



◎衆知を集めて取り組む



 つい1年前までは、環境問題、特に地球温暖化は世界全体で取り組むべき課題とされ、大きな関心を呼んでいた。しかし、昨年3月を境に、わが国では脱原発か存続かというより差し迫った問題が提起され、気候変動をめぐる議論を聞かなくなった。全世界も原発事故を機に日本がエネルギー政策を転換するのか注視している。環境といえば、現時点で連想するのは放射能汚染や除染であり、温暖化、低炭素社会、生物多様性といったひと頃もてはやされたテーマは、ずっと後景に退いた感がある。さてしかし、これら個別の議論は別にして、“環境学”というものの今後のあり方について、よい機会なので考えてみたい。

 「環境学は科学ではない」。こう言うと抵抗があるかもしれないが、カール・ポパーの定義によれば、“反証可能性は科学的言説の必要条件”とされている。わかりやすく言うと、「あなたの説は間違っている」との反証が許されないなら、それは科学ではない、ということになる。環境研究の多くは地域特異性、時間特異性を持つ。「ある時期に、ある地域の環境因子を調査すると、こうでした」という研究は検証不能であり、ポパーの定義によればこれは科学ではない。

 現在の環境研究の先駆けは「公害調査」である。地方自治体の環境研究所はある時期までは「公害研究所」と呼ばれていた。しかし、公害研究所の多くは今ではその役割を終え、日本国内では地域的な環境汚染はまず見られなくなった。環境研究の対象は、よりグローバルな気候変動、海外からの大気汚染の流入など、地方環境研究所の守備範囲を超えると同時に、一国だけの対応では改善が期待できない地球規模の大きな環境問題へと移ってしまった。地域での環境研究はそれを根拠に対策が実施されたことで、フィールドを消滅させてしまった。したがって、今後も引き続き“ローカルな環境学”が成立するためには、今のスタイルを思い切って変更することが必要であろう。

 方向性は二つ考えられる。一つは国際協力である。日本が公害を克服したノウハウを必要としている発展途上国はアジアに多い。二つめは環境研究の学際的な展開である。社会学、経済学、地域政策、土木治水、観光資源、温泉、共同体再生など、諸もろもろ々の学問や社会活動への環境を切り口にした参画である。

 その一例を挙げれば、群馬県衛生環境研究所では地域住民と協働して“多自然川づくり評価”の調査を数年前から行っている。そのための「群馬県版水環境健全性指標」を作成し、ウェブサイトで公表している。国際協力と学際化、どちらの方向性も一つの地方環境研究所だけで担える活動ではない。“衆知を集めて”取り組むことが必要となろう。






(上毛新聞 2012年1月22日掲載)