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視点 オピニオン21
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iikarakan/片品生活塾主宰  桐山 三智子(片品村菅沼)



【略歴】横浜市生まれ。東京都内の雑貨店勤務後、田舎暮らしを求めて2005年に片品村に移住。自然農法に取り組み、炭アクセサリー作家としても活動する。


南相馬の住民受け入れ



◎元気くれる村の力知る



 片品村では震災後、福島県南相馬市の方々1000人を約半年間受け入れた。その間、南相馬市の人たちが教えてくれたことがたくさんあった。その中で二つのことを紹介したい。

 まずは、村の若者や私たち移住した若者、友人たちで立ち上げた「むらんてぃあ」のこと。受け入れで一番大変なのは宿泊施設や役場の方々であるのは承知の上だが、それでも何かをしたい、片品村で気持ちよく過ごしていただけるようにサポートしたい、という思いから「むらんてぃあ」は発足した。最初のころは何をしたらいいのか、さっぱりわからない。浮き足立ったボランティアと批判を受けることも多々あった。しかし、私たちは自分のためではなく当初の思いをいつも念頭に置き、役場の“猫の手”的な活動から始めた。その後、みんなが集まれる憩いの場を開設、村内巡回バスを走らせたりと、生活支援へ活動をシフトした。さらに南相馬の方々を雇用してそれらを運営してもらえるような仕組みを作り、最終的には自立支援をお手伝いさせていただけるまでに活動は発展した。

 県内外多くの方々の協力もあって、当初の目的を達成できたと思う。移り住んで8年の間に、同じ目的に向かって思いを共有できる友人たちがいたこと、そしてそんな若者を支えてくれる地元の先輩方がたくさんいることに気づかされた。村が避難所としての役目を終え「むらんてぃあ」は解散した。名前がなくなっても、また何かあればきっとみんな集まり協力できる。一緒にいろいろなことを乗り越えて友情はさらに確かなものになり、今では定住した南相馬の人たちも含め大切な仲間である。

 もう一つは目立たないところで、村の人たちがそれぞれにできることを自然にやっていたということ。南相馬の方々と話をしていると、村の人たちがいろいろなところで手を差し伸べていることが見えてきた。そして驚いたことに、お別れ会をした時、多くの人が「震災前より元気になった」と言った。受け入れ直後は小さな病院がパニックになるほどだったが、自然の中を散歩したり、グラウンドゴルフに誘われたり、規則正しい生活をすることで健康になったというのだ。

 私も同じだった。8年前にアトピーがあったが、村での暮らしで治すことができた。最初の冬、凍結して水が出ず、見ず知らずの隣の家に水をいただきに行くと、夕飯とお風呂をいただき心も体も温まった。震災だからではなく、この村では普段から困っている人を助けたり、どんな人でも自然と受け入れてくれる、元気をくれる不思議な力があるのだ。半年の経験を経て私はますます村が好きになった。そしてこれからの村での暮らしがますます楽しみになった。南相馬市の人たちが教えてくれたのだ。





(上毛新聞 2012年2月1日掲載)