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群馬製粉社長  山口 慶一(渋川市渋川)



【略歴】日本大学大学院修了。群馬製粉3代目社長として洋菓子用米粉「リ・ファリーヌ」や国産米100%の「J麵」を開発。食糧、気象などに関する著書多数。


一生さんとの出会い(上)



◎デザインまるで美術品



 私が高校時代に尊敬していた先生が常々言っていた言葉があります。「世界の著名人の伝記を研究すると、成功した人には一つの共通点があり、その人自身の才能や運以外に、その人を支える誰かの愛の力が必ず存在する。それは、特に母親の愛情であることが多い」というものでした。当時の私にはその意味が理解できませんでした。しかし、その数年後、大学に入学して、私はその言葉を実感することになったのです。

 1982年、1年浪人して日本大学に入学した私は一種の5月病になりました。今の日本では考えられないでしょうが、当時は大学に入ることが人生最大の目標という風潮でしたから、その目標を達成した途端、糸が切れたように生きる目標をなくしてしまったのです。時代はバブル直前。授業のない時間はアルバイトや好きなことで過ごしました。

 しかし、それでも私は、自分が本当は何をしたいのかがわからず苦しんでいました。そのモラトリアム期間は2年ほど続き、大学3年になりかけたとき、たまたま、同級生がとても変わった洋服を着ていることに気がつきました。私は彼に「それは誰がデザインした洋服なの」と聞いてみたところ「三宅一生の洋服だよ」という答え。私は早速、渋谷のパルコ・パート2の地下にあった「ISSEI MIYAKE」に飛んで見に行きました。

 素晴らしく洗練されたディスプレイ。宝石のように並ぶ洋服の数々。お恥ずかしい話ですが、あまりにも緊張してしばらくお店に入ることができませんでした。そして店内に入った瞬間、脳裏に閃光(せんこう)が走りました。「これだ! 私の探していたものは」

 この日から毎週この店に通うことになったのです。 三宅一生さんの服はとても洗練されていて、自然の色を取り入れ、なんといっても、そのデザインに私は心を奪われました。実際に着てみると、フォルムが斬新で、まるで歩く彫刻です。すべてが新鮮でした。それは洋服というよりも、私には素晴らしい美術品に思えたのです。こんな素晴らしい洋服のデザイナーは、どんな人だろう? ぜひ会って話を聞いてみたい。そんな衝動に駆られました。

 ちょうどそのころ、高校の後輩から大学でミニコミの編集を手伝ってほしいと話がありました。一生さんにお話をおうかがいするチャンスかもしれない。

 しかし、当時、一生さんはすでに有名で、事務所に何度連絡してもなしのつぶて。私は一生さんが当時デザイナーの登竜門と呼ばれていた賞の審査員だということを知り、駄目でもともとと会場に乗り込みました。審査が終わった一生さんに「私は大学の仲間と雑誌を作っています。ぜひインタビューさせてください」と声をかけたのです。






(上毛新聞 2012年2月11日掲載)