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視点 オピニオン21
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県民健康科学大講師  杉野 雅人(伊勢崎市連取町)



【略歴】愛知県出身。2000年博士(工学)取得。診療放射線技師、第一種放射線取扱主任者、医学物理士。環境放射線の研究を20年続け、10自治体の放射線測定を監修。


自分の進む道



◎迷い続けるより行動を



 去る1月14~15日に、2012年の大学入試センター試験が実施された。緊張感漂う試験会場の中、受験生たちはさまざまな思いを胸に抱いていたであろう。

 大学受験といえば、私にとっては今から23年前のことになる。将来の職業を踏まえた上で進路について真剣に考え始めたのは、高校3年の10月だった。それまでは、父親が建設関係の仕事をしているから自分も、という思いしかなく、担任が国立大学への進学を強く勧めるから、国立大学の建築科に進めればいい、としか考えていなかった。

 高校3年の10月のある晩、父親から進路についての考えを聞かれた。「国立大学の建築科に進めればいいかな。担任が国立大学に進めば就職は見つかると言っているし」という程度の返事をした。その返事を聞いた父親が黙っているわけがなかった。「学科を決めるということは卒業後、自分の就ける職種がほぼ決まるということだ。本当に建築関係に就きたいのか? まさか、俺と同じような仕事に就けばそれでいい、と思っているんじゃないだろうな」と問われた。図星であった。「自分が本気でやりたいと思った仕事じゃなければ勤まるわけがないだろう。将来、就きたい職業はないのか? 仕事内容を調べてみたのか? それもせず、先に大学や学科を決めるな」としかられた。

 次の日から、大学ではなく、職業についてとことん調べ始めた。今のようにインターネットなどなく、情報誌だけが頼りだった時代である。山ほどある職業の中から「診療放射線技師」という言葉が目にとまった。エックス線、CT、核医学、放射線治療等、仕事内容について調べれば調べるほど興味が湧いた。国家資格を取得して従事するということも大きな魅力であった。それまで、何をするにしても迷っている時間だけが長かった自分だが、このときばかりは決断が早かった。目標を持った私は自分が変わった気がした。担任の勧めるまま、国立大学に進学することだけを考えていた自分が明らかに変わっていくのを感じた。

 志望通り、診療放射線技師を養成する3年制の短大に進学した。当時、診療放射線技師を養成する4年制大学は全国で一つしかなく、3年制の短大か専門学校に進むのが主流だった。勉強嫌いな私にとって、修業年数が3年間であることは、正直、とてもうれしかった。

 あれから23年。私は現在、診療放射線技師を養成する大学で教えている。診療放射線技師を目指した私がどうして大学講師として勤めているのかはさておき、若い方々へ伝えたい。人生はいつからでもやり直せるが早いに越したことはない。気づいたときがチャンスだ。迷い続けた結果、得られるのは現状維持だ。迷って時間を費やすよりも行動量を増やすんだ。




(上毛新聞 2012年2月16日掲載)