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前橋地裁所長  三好 幹夫(前橋市大手町)



【略歴】鳥取県米子市出身。名大院修了、1975年に司法試験合格。最高裁調査官、司法研修所教官、東京地裁刑事所長代行者などを経て2011年5月から現職。


新しい裁判のかたち



◎法廷で直接心証をとる



 日常化した裁判員裁判ですが、それまでの刑事裁判では、裁判官は多数の捜査書類を眼光紙背に徹する気構えで読み進むことが基本でした。事案によっては調書の行間にまで思いをめぐらせながら、弁護人提出のものを含め、証拠をためつすがめつあらゆる角度から吟味し、検察官の主張に誤りがないかを検証するのです。3人の評議でも記録から検察官の主張に誤りがないかを議論し、判決書作成の過程でも表現を練りつつその結果を確認する作業を繰り返します。このように裁判官の責任において事案の真相を解明することが刑事裁判の本質であり裁判官の在るべき姿であると考えられていたのです。判決書は草の根を分けても真実に迫ろうとする熱意にあふれたものですが、それは当事者の活動の成果というよりも、裁判官が記録を読み込んだ結果であり、言わば古文書を読み解く歴史家のような作業の結果でした。

 裁判員制度の準備過程で、私たちはこのような従来型の刑事裁判を「解明型」と呼び、裁判員裁判ではこの解明型の審理や評議を理想としないところから出発しました。なぜかと言えば、解明型は、裁判員に対し、裁判官と共に出てきた証拠を洗いざらい吟味し直すこと、捜査書類を読み込むことを迫るものとなりますが、それは一般市民には荷が重すぎるし、そもそも裁判員はそのような作業のために参加するのではなく、その多様な意見を審理と結論に反映させるために裁判に関与しているのです。先のような作業であれば、裁判官だけでよいはずです。裁判員に証拠を丹念に読み込む作業を強いてはならず、現状がそうであれば、検察官も弁護人も、もちろん裁判官も職責を果たしたとは言えないのです。

 「裁判員にも証拠をしっかり読み込んでもらわないと困る」という人もいますが、そうではないと思います。裁判員が法廷での直接のやりとりで心証をとることができるような証拠の出し方をする責任が法律家の側にあり、それが「見て聞いて分かる審理」ということなのです。裁判員が法廷で心証を形成できなければ、裁判官が評議で証拠の内容を説明することになりますが、そうであっては、出発点において裁判員と裁判官が同等の立場で協働する評議とはなり得ないでしょう。裁判官は、裁判員とは別に独自に証拠を吟味するようなことはせず、裁判員とのチームの一員として、同じ目線と距離感で証拠をみて、当事者の意見をよく聴きながら、検察官の主張する理由と結論の総体が認められるか否かを端的に判定する「評価型」に努めています。

 この意味で裁判員裁判は、実は、裁判の主体として市民が加わるにはとどまらない、従来とは大きく異なる新しい刑事裁判のかたちなのです。






(上毛新聞 2012年3月9日掲載)