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群馬工業高等専門学校准教授  三上 卓(前橋市南町)



【略歴】大阪府吹田市出身。徳島大大学院修了。博士(工学)。専門は地震工学、橋梁(りょう)工学。東日本大震災津波避難合同調査団に参加、岩手県山田町・宮城県石巻市を調査した。


震災から1年



◎危機意識持って備えを



 1年前の3月11日、東北地方を中心に、関東地方でも地面が大きく揺れた。確かに大地震と感じたが、テレビに映し出された惨状を見て、多くの方が目を疑ったのではないか。

 記憶に新しい津波被害は約22万人が死亡した2004年のスマトラ沖地震ではないだろうか。津波が海岸に押し寄せ、人々が逃げ惑う映像が今でも印象に残っている。日本では1993年に発生した北海道南西沖地震までさかのぼることになる。発生が夜間であったこと、現在のようにビデオカメラが広く普及していなかったことで、映像による記憶は残っていない。 東日本大震災発生以降、新聞やテレビといったメディアに、津波被害に関する多くの写真や映像があふれた。当初は上空からの映像が多く、津波が海岸に押し寄せる様子やビニールハウス等をなぎ倒していく様子が繰り返し流れていたのを覚えている。その後、津波が堤防を越えて街中を勢いよく流れていく映像を見て津波の本性を垣間見た。

 昨年6月から「東日本大震災津波避難合同調査団」に参加している。大学や建設会社等の研究者や技術者がボランティアとして集まった調査団である。「なぜ2万人もの人が被害にあったのか」を明らかにするため、岩手県下閉伊郡山田町と宮城県石巻市で避難所や仮設住宅を回り、被災者の方に「地震のときどこにいたのか」「津波が来ると思ったのか」など41項目のヒアリング調査を行った。山田町で200人、石巻市で300人の意見を得た。

 分析結果をいくつか紹介する。「誰と避難したか」という問いに「ひとりで避難した」と回答したのは山田町で30%、石巻市で14%であった。そこで「避難先や連絡方法について家族で話し合ったことは?」という問いをしたところ、「ある」が山田町で55%、石巻市では33%だった。山田町では避難先や連絡方法を決めていたことで、それぞれが単独ですぐに避難したため、津波の高さが10メートル以上であったにも関わらず、海岸に近い住民の多くが助かったのではないだろうか。

 さらに、「津波が来ると思ったか」という問いに対し「大津波が来る」もしくは「津波が来る」と回答したのは山田町で82%、石巻市で46%だった。石巻市は中心部の大半で津波の高さが5メートル以下だったが、3千人を超す死者が出てしまったのは、津波に対する警戒感の低さが要因の一つと考えられる。

 群馬県では地震等の災害がほとんどなく、安心しきっているのではないか。経験はもちろん、知識や危機感のない状態で災害に遭うほど恐ろしいことはない。本県で発生する可能性が低いとしても、旅先での首都直下型地震や東海地震等の発生を想定し、地震防災に関する知識を増やし、震災に備える必要があろう。





(上毛新聞 2012年3月11日掲載)