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視点 オピニオン21
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現代芸術家  中島 佑太(前橋市関根町)



【略歴】前橋市出身。中央高、東京芸術大美術学部卒。東京を拠点に活動後、2010年冬から前橋を拠点に、全国各地で地域と関わるアート活動を展開している。


想像する、ゆめを見る



◎市民が耕す文化の土壌



 文化財・旧麻屋百貨店が取り壊されたことは記憶に新しい。取り壊されたショックと、文化財登録が簡単に取り外せることへの驚きが大きかった。2月の前橋市長選後、山本新市長の市立美術館構想に対する発言と各メディアの報道にも、驚きと違和感を持った方が多いことだろう。

 美術館構想をめぐる問題は政治だけの問題ではない。これは私たち市民の問題である。必要か不要か、運営にどのように税金が使われるか。それについて考えることは重要だ。しかし、今こそ最も重要なのは「想像すること」だと言いたい。どんな美術館だったら行きたいかな? こんな美術館が欲しいな! とあれこれ想像してみてほしい。空飛ぶ美術館! なんてアイデアもいいかもしれない。

 美術館をシンボルとする芸術文化は、1人の首長を選ぶための選挙材料ではないのは言うまでもない。連綿と続いて来た生活・歴史の中に、先人たちが残したかけがえのない私たちの財産である。文化は英語でcultureと表す。cultureはcultivate=(畑などを)耕す、を語源としている。歴史の授業の知識を借りれば、人の暮らしが狩猟生活から農耕生活に移り変わり、集落が生まれた。暮らしのために、土器や衣服、家を作り、暮らしをより豊かにするための装飾やデザイン、芸術が生み出され、守られてきた。

 今日、芸術は暮らしのためにすぐに必要なものではないと言われてしまっている。では、芸術が地域や私たちの生活に根ざしたものになるにはどうしたらよいだろう。根ざす、という字面を読めば、どうやら根が必要らしい、と分かる。芸術が地域に根付くための根とはどんなものだろうか。 想像することとは、言い換えれば「ゆめを見ること」である。残念ながら今の前橋にはゆめを見ることができる場所が少ない。そのような場所があれば、見たゆめを語り合い、その中からさらなるゆめが生まれ、やがてさまざまな形になる。芸術は想像力である。受け取り、消費するだけでなく、考え、想像し、ゆめを見る。

 美術館構想を箱ではなく、木ととらえてみてはどうだろうか。ゆめを見る人たちが集う大きな木。大きな木が根を張るためには、豊かな土壌が必要である。その土壌は、私たち市民が耕すものなのだ。根の形・大きさは、地上で見える木の形だと同じくらいだと聞いた。見えない地中のことを、地上の木は想像させてくれる。木にゆめが咲く頃、根の張る土壌は豊かになっているだろう。

 これからの前橋が文化財さえ解体する不毛な土地になってしまうのではないかと私は感じる。しかし逆に、豊かな土壌を作るチャンスでもあると思っている。





(上毛新聞 2012年4月5日掲載)