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視点 オピニオン21
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群馬製粉社長  山口 慶一(渋川市渋川)



【略歴】日本大学大学院修了。群馬製粉3代目社長として洋菓子用米粉「リ・ファリーヌ」や国産米100%の「J麵」を開発。食糧、気象などに関する著書多数。


一生さんとの出会い(下)



◎発想や創造の過程学ぶ



 三宅一生さんに初めてお会いして、突然、インタビューのお願いをしました。一生さんは秘書の方の電話番号を教えてくださり、私はすぐに電話をかけ、翌週には当時六本木にあった三宅デザイン事務所を訪ねました。以来、あまりにも頻繁に押しかけるので秘書の方が「アルバイトしてみますか」と、雑用やショーのお手伝いをすることになりました。一生さんは1枚の布をテーマに服を作り、日本のハイテク技術を駆使した素材を企業と共同で開発し、革新的なデザインの洋服を生み出していました。私は一生さんは世界に誇れる最高の芸術家だと確信しました。

 三宅デザイン事務所に出入りしてしばらくたったころ、スタッフの方から一生さんの幼少時について聞く機会がありました。広島出身であること。7歳のときに原爆に被災し、お母さんも重傷を負い、3年後に亡くなったこと。亡くなるまでの3年間に一生さんが一人でも生きていけるように料理や縫製などを教えたことをおうかがいしました。一見華やかなファッションの世界からは、そんな悲劇の影は感じられませんが、戦争と原爆という地獄を体験され、親を亡くし、血のにじむような努力をされてきた方だと実感しました。

 一生さんの事務所では学ぶことばかりでした。新しい物を創造するとき、一つの目標を立て、どんな困難に直面してもやり遂げること。デザインは、来年、再来年がどんな世の中になるのか常にアンテナを張り、観察し、創造すること。時間を作って美術館や博物館に行って勉強すること。

 今も忘れられないのは、1987年4月のショーです。大音響の音楽と共にスタートしたコレクションのテーマは「石」。石のプリント柄や石を想像して構成された舞台は石の持つ普遍性、神秘性、永遠性を表現した素晴らしいものでした。フィナーレを迎え、物悲しい音楽と共に登場したのは黒のドレスと棘(とげ)のような形のジャケットを着た十数人のモデルたちでした。それを目にしたとき、私の目から涙があふれ出ていました。これはあくまでも私の想像にすぎないかもしれませんが「一生さんは自分のお母さんに着てもらいたいために、洋服を作り続けているんだ」

 私は高校時代の恩師が言っていたことを思い出しました。誰かの愛の力がその人を支えてくれているのです。一生さんのお母さんは目に見えないけれど、きっと一生さんを陰で支えているんだ、と思いました。

 私は一生さんの仕事への姿勢から素材の開発の重要性を学び、その十数年後に群馬製粉でお米からケーキやパン、麺を開発する発想につながりました。一生さんやスタッフの方たちから学んだ発想や創造的な開発の過程は、今も私の仕事の原点になっているのです。








(上毛新聞 2012年4月6日掲載)