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視点 オピニオン21
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ゆいの家主宰  高石 知枝 (高崎市菊地町)



【略歴】愛知県生まれ。愛知教育大卒。元小・中学校教員。2001年に退職。「ゆいの家」を拠点に、料理教室などの「食」にまつわる啓発活動を行っている。


学校給食か 弁当か



◎自校方式導入の背景に



 高崎市の小中学校の給食は、自校方式といって各学校で作られています。私の子どものころは給食は学校で作っていて、いつも4時間目になるといい匂いがしてきました。その後、合理化のためセンター方式がどんどん取り入れられました。そんな中、高崎の自校方式は素晴らしいなあと思います。

 たまたまある方から高崎市の元市長である沼賀健次さんのことを知りました。私は結婚して群馬に来ましたから、初めてお聞きする名前でした。その沼賀市長のことを小見勝栄さんという方が『裸の教育者 高崎市長 沼賀健次伝』という本にされていました。その中に「きめ細かい教育行政の中でも、中学校の学校給食の実施には難色をしめしました」と書かれていたのが気になって、直接小見さんにお会いして、そこのところをお聞きしました。

 小見さんがおっしゃるには、沼賀市長は「母親の手作り弁当が子どもの教育には欠かせない。みんなで並んで同じものを食うのは、戦時中の軍隊みたいだ。弁当は親がちゃんと作って、子どもにしっかり勉強するんだよと励ますためにあるもんだ。それに、弁当の残り具合を見て、何か学校であったんじゃないかと気づくきっかけにもなる」と言って、断固学校給食に反対だったそうです。

 議員さんらが導入してほしいと沼賀市長に頼んでも「うん」と言ってもらえませんでした。教員組合の人たちが「家の人が弁当を作ってくれずに、学校を抜け出してパンを買う子がいて教育しづらいんですよ」と言っても駄目でした。困り果て、いつも沼賀市長のところに出入りしていた小見さんに何とか説得してほしいと頼みに来たそうです。小見さん自身も学校給食については反対でしたが、いろんな方が何度も頼みに来るので、しかたなく沼賀市長のところに行ったそうです。そうしたら、沼賀市長は小見さんの話をしばらく聞くだけ聞いて、最後に言った一言が「やるんなら、自分の学校で作るんだい」だったそうです。

 この一言が、高崎市が自校給食になった原点でした。いったん決めたら、今度は「各学校に給食室ができれば、栄養士さんや作り手の雇用が生まれる。近所のおばさんたちを雇って給食を作ってもらえ。野菜も近くの農家から買うのがいい。とにかく誰が作るか見える関係がいい」と、どんどん給食室を作っていきました。でも根底ではやっぱり給食には反対で、親が作った弁当を食べさせるべきだと思っていたそうです。

 今、学校給食は当たり前になり、たまの弁当さえ面倒に思う親もいる時代になりました。本当にこれでいいのでしょうか。子どもたちが自分で作る「弁当の日」が、もう一度「食」を見直すいい機会になるのではと思います。







(上毛新聞 2012年4月25日掲載)