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大間々町商工会青年部長  吉沢 正樹 (みどり市大間々町)



【略歴】桐生工業高、日本大生産工学部卒。大手建設会社を経て、父親が経営する測量器メンテナンス会社に入社、現社長。2011年4月から大間 々町商工会青年部長。


震災に思う



◎一日も早い復興を願う



 今まで生きてきた中で、夢であってほしいと思うことがあの震災だ。昨年3月11日は、時折強い風が吹いていた。車を駐車場に止めた瞬間、電柱がグラグラ揺れ続け、近くの建物の壁が大きな音を立てて剥がれ落ちた。とっさにただの地震ではないと気付いた。家族が心配になり、すぐ自宅に戻った。

 家の中は割れた食器が散らばり、妻と子どもはおびえていた。テレビをつけると、目を覆いたくなる津波の映像が流れていた。そのとき、一昨年前から交流している青森県大間町商工会青年部のことが頭をよぎった。何とか舘脇淳部長と連絡が取れ、安全が確認できてホッとした。大間港は津波の被害がなく、対岸の函館港が被害に遭ったとのことだ。

 スーパーは閉店し、コンビニの食料は全て売り切れた。ガソリンスタンドには長い列ができ、順番争いも起きていた。その時季に行われるイベントのほとんどが中止となった。原発も止まり、日本が止まった。未曽有の災害で人間の力の弱さを知った。

 数日後、計画停電が始まった。これまで大規模な停電は経験がない。停電の夜は街灯やネオンはもちろん、信号機も全て消えた。山の上から月明かりだけで見た町は、とても静かで神秘的だった。まるで町全体が眠っているようだった。仕事が終わり、家に帰るとシーンと静まった真っ暗な部屋の奥から「お帰りー」と不安がる子どもたちが出迎えた。食卓には懐中電灯がただ一つ。そこで食べる食事は特別な感じがした。普段は集まらない家族が一カ所に集い、テレビもゲームもないので一日の出来事をゆっくりと話せた。不謹慎かもしれないが、家族団らんを感じた。

 5月、大間々町商工会青年部は被害が大きかった仙台の若林区へ向かった。そこで鉄工所経営の澤田正行さんの工場でがれきの撤去を行った。ありとあらゆるところに厚く堆積していた砂を、ひたすらかき集めては一輪車で運び出した。2日間であらかたの作業が終わった。お昼に澤田さんから温かいコロッケの差し入れがあった。ご自身が大変な時なのに、気遣いを申し訳なく思った。澤田さんの話によると、津波の襲来時はごう音と黒い土煙が辺り一面に広がり、着の身着のまま、本能でとにかく逃げて助かった。あまりの被害の大きさに涙も出ないという。「もし逆の立場だったら群馬へ行けないかもしれない。本当にありがたい気持ちでいっぱい」と涙ぐんでいた。帰りに持参した一輪車3台とスコップ10丁を寄贈した。

 多くの人が家、家族、仕事を一瞬でなくしてしまった今回の震災。群馬に津波はないが、もしも津波で家族が流されたら自分はやっていけないと思った。一日も早い復興を心から願っている。







(上毛新聞 2012年5月1日掲載)