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視点 オピニオン21
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和紙ちぎり絵作家  森住 ゆき (埼玉県熊谷市)



【略歴】桐生市新里町出身。1984年偕成社「絵本とおはなし新人賞」、85年群馬県文学賞児童文 学部門受賞。著書に『アメイジング・グレイス』『ぶどうの気持ち』。


知的障害者のサポート



◎驚くべき素直さに脱帽



 前回(3月15日付)は私が通っているキリスト教会が生み出した、障害者就労支援施設「行田のぞみ園」について書かせていただきました。

 こう言っては何ですが、私はずっと福祉の分野には関わりたくない、と思ってきた人間です。想像するだに大変そうだからです。そんな者が、園の障害者の方々とクッキーやケーキを販売するお手伝いを数年間させていただきました。それは、やはり人は人を救えないものなのだな、とあらためて思わされた経験でした。

 しかし、相当腰の引けたサポーターの私でしたが、それでも何もしないよりはいいと思えてきたのも事実です。福祉の分野に志の高い奉仕者は当然必要でしょう。が、障害者と健常者の壁が市民レベルでわずかでも低くなることもまた大事だ、と今は感じています。

 知的障害のある方には、健常者が脱帽するような粘り強い努力家が少なくないことは、すでに多くの皆さんがご存じと思います。なので、今回は私が園でお手伝いをしていた時に最も強く印象に残ったことを記します。 行田のぞみ園には、忍耐強くいつも穏やかな障害者の方もいますが、その逆の方もいます。また、感情の爆発による仕事の投げ出しや、集中力が続かずに逸脱行動という場面も日々見られました。障害者の方同士のエゴのぶつかりあいも普通にあります。

 障害者の方々の間で起こる問題の多くは、それぞれが背負っておられる障害の現れなので事は複雑です。園のスタッフは個々のケースを見きわめ、じっくり懇々と、時にピシャリと対応していましたが、そんな時に決まって見られるある傾向は、私を刮かつ目もくさせるものでした。

 それは、障害者の方々はひとたび自分が謝罪すべき点を理解すると、驚くべき素直さで「ごめんなさい」が言える。そして謝られた側は、これまた驚くべき素朴さでそれを受け入れ、悪感情を引きずることなく日常に戻れる、という事実でした。

 園の方々を見ていると、私は人間の真の価値や品性というものについて深く考えさせられました。そして、しばしば「ごめんなさい」を言い惜しみ、自分が傷ついたことにはこだわりやすい私は、この方々に絶対かなわないと大変恥ずかしく思いました。

 考えてみれば、「ごめんなさい」が言えないばかりに、また許すことができないばかりに、人間社会には何と多くの争いや揉もめ事が満ちているのでしょう。人と人の間に。国と国との間に。

 園の方々は社会的には弱者でも、弱くはない。尊敬できる輝きをお持ちの方々なのだ。そう気付いてからは、私は私のできる角度からサポートを楽しもうと思えるようになりました。ゆっくりと、ともに並んで歩く気持ちで。






(上毛新聞 2012年5月6日掲載)