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視点 オピニオン21
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県衛生環境研究所所長  小沢 邦寿 (前橋市岩神町)



【略歴】大阪府豊中市出身。東大医学部卒。帝京大市原病院外科助教授、県循環器病センター(現心臓血管センター)副院長などを経て、2001年から現職。


食中毒シーズン前に



◎非加熱食材にはリスク



 梅雨どきから夏場にかけて、食中毒に気をつけなければならない季節が巡ってくる。そもそも、梅雨は「黴雨(ばいう)」を語源とする説が有力で、高温多湿で細菌やカビの繁殖に絶好の条件が整う時節、ものが皆黴(か)びる季節、という意味である。何とも不愉快な季節ではあるが、日本で梅雨と呼ばれるこの気候は、地球規模で見れば、インドから日本にまたがるアジア・モンスーン気候帯における、東端の局地的気象という見方ができる。 この気候には細菌ばかりでなく、単位面積あたり最も多くの人口が扶養可能な「コメ」という農作物に、最適な気象条件をもたらしてくれるという大きな恩恵もある。わが国にとって梅雨は、春の雪解け水とともに、欠くことのできない真水の供給源でもある。「瑞穂の国」は清らかな水の豊かな国であって、このような地域は世界から見ても類がない。

 北京では今もって水道の水はそのまま飲めない。また、インドのベナレスに旅したおり、ものは試しと沐浴(もくよく)をしたことがあるが、ヒンズー教徒でない身にとっては、ガンジス川の水はただただ汚いだけであった。ところで、日本人にとって「新鮮=安全」というのは、かなり共通した見方だと思われるが、これはわれわれにだけ通じる論理である。世界標準では、「加熱しない水や食物は危険」というのがむしろ正しい判断である。インドや中国で茶が飲まれるのは、嗜好(しこう)品というより、生水をそのまま飲むのが危険だからである。

 同様に、火を通さない野菜、肉、魚は、寄生虫や細菌に汚染されている可能性があり、食中毒や感染症の危険があるという認識は、今でもグローバルには正しい。“SUSHI”は世界中に広まった日本食であるが、低温流通体系(コールドチェーン)が整備された上のことであって、それ以前なら、日本でなければ成立しえない食文化の奇習というほかない。

 昨年は9年ぶりに食中毒による死者が10人を上回った。11人の死者の原因は、腸管出血性大腸菌が7人、サルモネラが3人、フグ毒1人であった。富山県の焼き肉チェーン店のユッケによる死者は5人となって、牛肉の生食に規制が設けられる発端となった。腸管出血性大腸菌もサルモネラ菌もわずかな菌量(数十個)で発症する食中毒であり、しかも死者が出る危険性をはらんでいる。食材が新鮮であることをもって安全を担保したことにはならないという見本のような食中毒菌である。

 新鮮であれば生で食べても安全とみなすのは、ある種の幻想である。肉やレバーを生で食すのが“通”の食べ方であると称揚することもまた、危険な振る舞いといわざるを得ない。「熱を加えない食材は基本的に微生物のリスクを排除できない」―この世界的常識の再認識が必要である。







(上毛新聞 2012年5月22日掲載)