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視点 オピニオン21
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独日翻訳者  長谷川 早苗 (高崎市吉井町)



【略歴】ドイツ語学校のゲーテ・インスティトゥート東京校やゲッティンゲン校などで約10年間学ぶ。2011年4月に初の翻訳本出版。ぐんま日独協会事務局員。


読書と日本語表記



◎気にしすぎると支障も



 ドイツに行く目的には、「友人に会う」「ドイツ語を学ぶ」などありますが、私の場合、「本屋に行く」も大事なひとつです。売り場に行けばどんな本が読まれているかわかるし、手にとって中身を確認できるのはやはりいいものです。

 ドイツでの本のエピソードはいろいろあります。本を読みに行った公園で、オレンジのビキニを着て日光浴していたおばあさん。古本市で、よほど蔵書を減らしたかったのか、10冊買えば全部で50セント(数十円)にしてやると迫られたこと。数冊を会計しようとしたら、「いい本を選んでいる!」と褒められたこと。日本に帰国するときに友人がくれた餞せん別べつは、料理本から日本の昔話ドイツ語版まで、ほとんどが本でした。

 日本語では、小学校のときの青い鳥文庫からコバルト文庫、その後、ミステリーや純文学に手を出し始め、気に入った作家を中心に広げていきました。高校で電車通学になるまではたまにしか書店に行けず、手に入れた本はうれしくて何度も読みました。あんなに濃密な読書の時間は、若いときの特権でしょう。

 けれど、翻訳を始めてからは、読むのが遅くなりました。ドイツ語を読んでいると訳を考えてしまうし、訳書であれば原文はどうなのか、自分ならどう訳すか考えてしまうのです。

 しかも、訳文を書くときには、何かと細かいところが問題になります。漢字にするか、ひらがなか。読点や記号の使い方。カタカナ表記にゆらぎのある単語…。例えば、以前は「今日公園に行った」と書く文章が多かったと思うのですが、漢字が続くのを避けて、「今日、公園に行った」とするようになってきました。このくらい短い文であれば問題ないでしょう。でも、「私は今日、公園に行って、ビキニのおばあさんを見た」となると、「今日」の後の読点が邪魔です。最近は新聞などでは、「きょう公園に行った」とひらがな書きをすることが多いようです。

 というわけで、表記の問題は大切とはいえ、そればかり気にしていたらひどいときには「あれ、何だっけ?」と内容が頭に入らなくなってしまいました。考え込みすぎて、自分の書く文のリズムも崩れていきました。当時、本人は至って真剣だったのですが、真面目にやればいいものでもないようです。

 それでも、一度じっくり考える時間をとれたのは、いいことだったと思います。もう、使える表現を探すために書籍を読んだり、表記ばかりを追ったりしないですみます。もちろん、必要があればメモをとるし、仕事の資料や勉強のための読書もします。訳を考えながら読む癖は残るかもしれませんけど。

 さて、では、人からもらった小説と、図書館で借りた実用書と、読みかけのドイツ語本、どれを読もうか…。







(上毛新聞 2012年5月23日掲載)