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高崎中部名店街理事長  友光 勇一 (高崎市鞘町)



【略歴】日本大商学部経営学科、インテリアスクール卒業。現在インテリアショップ経営。高崎中部名店街理事長、神輿高崎右京會会長を務め、街の活性化に取り組む。


浅草三社祭に学ぶ



◎神輿を担ぎ街を元気に



 東京に初夏の訪れを告げる浅草三社祭が2年ぶりに行われました。昨年は東日本大震災のために自粛し、神みこし輿渡とぎょ御(神輿が町内を練り歩く)は中止となりました。また、スカイツリーの開業とほぼ同時期の開催のため、浅草の街は最高の盛り上がりを見せ、活気ある姿で大勢の神輿の担ぎ手や見物客を迎えました。

 全国から“神輿野郎”があたかも高校野球の甲子園のように浅草に集結しました。われわれ高崎鞘町神輿愛好会「右京會」のメンバー50人余も本場の神輿担ぎのお手伝いのため5月19、20日の2日間、浅草ビューホテルのある柴崎町中町会へ出かけました。

 この町会とのお付き合いは31年になります。私が「高崎ふるさと祭り」実行委員会の役員を務め、高崎に市民誰もが参加できる神輿の歴史をつくり、高崎を元気にしようと試行錯誤している時でした。先輩の叔父で、町会長をなさっている浅草の町会を紹介していただき、祭りの運営や雰囲気づくりの参考にと、お邪魔したのが最初でした。

 当時ビューホテルはなく、浅草国際劇場が営業していました。神輿渡御の仕切り方、町の御み き しょ酒所(町会の神輿を飾る祭典事務所)のしつらえなど、本場の祭りを経験し、高崎に生かすためでした。当時、国際劇場周辺は人出の少ない町でしたが、こと祭りとなると、活気ある町に変身する姿に感動しました。

 今年、浅草三社祭は700年祭です。父から子、子から孫へとその伝統が脈々と受け継がれ、町のにぎわいをつくっています。

 19日は浅草神社(浅草寺の南隣)の氏子44町会の神輿約100基が浅草寺本堂裏広場に集まり、浅草神社でおはらいを受けそれぞれの町会に担ぎ帰りました。20日は朝6時から浅草神社、本社神輿3基の宮出し(境内を埋め尽くした担ぎ手たちが荒々しく担ぎ棒の奪い合いをする)が行われ、西部方面、南部方面、東部方面とそれぞれの方向に別れて担ぎ出されました。各方面を渡御した神輿が夕闇せまる神社に帰って来て宮入りし、祭りは終了しました。

 その間、浅草は異常な活気にあふれます。多くの人が街を楽しみます。目立たない横丁や辻にまで興味を持ち探索します。そして、より活気ある街へと変化します。神輿は神事ではありますが、昔から人々の願い事をかなえる希望でした。神輿を担ぎ上下に振り動かすことにより神様のパワーを上げ、人々が幸せになると信じられてきました。

 多くの皆さまに愛され支持される中心商店街になるために、多くの仲間と神輿を担ぎ続けることが街を元気にする一つの方法と信じ、親から子へ孫へと続けていきたいと考えています。







(上毛新聞 2012年6月1日掲載)