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視点 オピニオン21
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県がん患者団体連絡協議会企画委員  篠原 敦子 (前橋市箱田町)



【略歴】前橋市生まれ。『光満つる葉月、切除』が第6回開高健ノンフィクション賞最終候補に。『その夏、乳房を切るめぐり逢った死生観』と改題し創栄出版より発刊。


がん闘病記



◎役立つ 事細かな記録



 がんの告知が一般的になり、書店ではさまざまな闘病記を見かけるようになった。

 時には「がんにかかって初めて自分が見えてきた、がんに感謝している、という言葉にはウンザリした」など、勇ましい文面に出合うこともある。しかし同じ本の中でたいてい逆転劇が起こる。「再発した先輩患者の何げない優しさにワーワー泣けた、自分もいつかはああいう謙虚な人になりたい」という具合だ。

 昭和30年代、ある宗教学者が一分の隙もない古典的な闘病記を著した。一切の神仏を信じず、あくまでも学者としての立場で自身のがんとの闘いを見つめたものである。しかし久しぶりに読み返すと意外に胸に迫るものがない。著者は「生死」という堅けんろう牢な建築物の、梁はりや塗料までを詳しく考察しているのだが、建物の中には一歩も足を踏み入れていない。そんな歯がゆさを読み手としては覚える。

 それに引き換え『もしも、がんが再発したら』(国立がん研究センター がん対策情報センター編著)に載った一般の人のつぶやきに、私は目の覚める思いだった。「私は、自分の死んだ後、幼い子供や夫がどうなってしまうのかと考えると、長い間、恐ろしさで胸がつぶれそうでした。ある日、ふと、もし私が死んだら、私よりもっとよい奥さんに夫が巡り合うかもしれない、子供たちも私よりももっとすてきなお母さんに巡り合うかもしれないと思いました。(略)何かわからない大きな力が、きっと夫や子供を守ってくれる、今は、そんな気がするのです」。

 先の学者が周辺をうろつくだけで終わった「建物」の中に、この一女性は素足のまま入り、窓からはるかな牧草地を俯ふかん瞰している。

 折々、痛感するが、闘病記と言わずとも、治療中の経験を事細かに記録しておけば、他者のために役立つものだ。

 先日、患者会で「放射線治療で毎日通院していたころ、同じ治療を受ける仲間と知り合えて、とても楽しかった」という声を聞いた。けれど私の知人は「ひっそり着替えて放射線をあてられ、ほの暗い場所から一人帰る時、涙があふれるのが常だった」というメモを残している。

 気軽に寄って話してゆける患者サロンが、あちこちの病院にあれば、そこにピアサポーター(病気を克服した後、病中の人の相談役を務める係)が常駐していれば、と思う。「人が病気になると病んだ器官だけでなく、体全体がその病気をになうから、人は癒いやされる」とは、バチカンで働いた故尻枝正行神父の言葉だ。体全体がその病気をになう力を持つのは、外気にさらされ、心身ともに混ぜ返される時期があればこそではなかろうか。






(上毛新聞 2012年6月22日掲載)