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群馬製粉社長  山口 慶一 (渋川市渋川)


【略歴】日本大学大学院修了。群馬製粉3代目社長として洋菓子用米粉「リ・ファリーヌ」や国産米100%の「J麵」を開発。食糧、気象などに関する著書多数。


辻口さんとの出会い(2)



◎「米粉の洋菓子」に光明



 「米粉はこのままでは衰退していくばかりだ。和菓子だけでなく洋菓子にもお米の粉を普及させることができないか」。父の山口幹夫(現会長)にそう言われ、社内に3人の洋菓子開発プロジェクトが発足したのが1999年8月のことでした。私が務める群馬製粉は小麦粉は全く扱わず、お米の粉のみの製造を行っていました。そのお米の粉は日本人の食生活の激変に伴い、主食のお米の消費減少とともに大きく衰退を始めていたのです。 私も含めわずか3人の小さなチームでした。私たちは米の粉を使いパンや洋菓子の開発実験を繰り返すのと同時に、これはというパン職人、洋菓子職人を訪問することにしました。専門家に会っていろいろな話をすることで、何か手がかりを得られるのではないか、方向性が見えてくるのではないかと思ったのです。私は全国のこれはという100人以上の職人を訪問し、ほとんどの方とお目にかかったような気がします。

 しかし、洋菓子業界も非常に伝統を重んじる社会で、レシピも素材も母国フランスで認められたものでなければ使わないし、また、そうしなければ邪道だといった意識が強くありました。

 当時は平成不況の真っただ中で、人々は小さなぜいたくに楽しみを求めていました。朝の開店時から長蛇の列をなす洋菓子店が何軒かありました。それらの店ではケーキが作るそばから売れていました。その一つが自由が丘の店で、オーナーシェフは「パティシエ」という言葉を日本に根付かせた辻口博啓氏でした。この店にはとてつもない勢いと革新がある―それが初めて訪ねたときの第一印象でした。開店前から100人以上の行列は当たり前で、店に入ればお客さんの異常な数に圧倒され、厨ちゅうぼう房で働く若い従業員も異様な熱気を醸し出していました。

 辻口氏にお会いして相談すれば何かヒントをもらえるかもしれない。かなりの時間がかかりましたが、何とかお会いする約束が取れたのです。初めて面会したとき無言で現れた辻口氏に、ストレートに「お米でケーキを作りたいのですが、協力していただけませんか」とお願いしました。これまでの訪問先では全て断られ、もうだめかもしれないという気持ちでしたが、意外にも「それは面白い。協力しましょう」と二つ返事で快諾してくださりました。「実は小麦アレルギーで、ケーキを食べられない子どもたちが大勢います。その子どもたちのためのケーキを作りたいと考えていました」。私は2年以上、洋菓子に米の粉を使用できないか研究と営業を行ってきましたが、辻口氏との出会いによって前途に一筋の光明が見え始めたのです。






(上毛新聞 2012年7月21日掲載)