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視点 オピニオン21
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前橋地裁所長  三好 幹夫 (前橋市大手町)


【略歴】鳥取県米子市出身。名大院修了、1975年に司法試験合格。最高裁調査官、司法研修所教官、東京地裁刑事所長代行者などを経て2011年5月から現職。


裁判員法廷での表現



◎市民の言葉で法を語る



 裁判員法廷で語る言葉は平易であるべきです。従来の法廷では仲間内しか通用しない言葉が平然と使われ、現在の裁判員法廷でもその種の言葉が飛び交うことが少なくありません。法曹の閉ざされた世界の言葉遣いから脱却できず、普通の人が聞いても容易に理解できないことがあります。市民参加が実現した今、法曹は自らの言葉遣いにもっと注意を払うべきです。 とりわけ判決文は、悪文の典型のように言われてきました。何十行も連ねた一文で犯罪事実の詳細を書き切る刑事の判決文などは、確かに分かりにくいものです。実は約20年前、裁判所内でも判決文を改善しようと提言されたことがあります。例えば、一文をできるだけ短くする、懲役刑の「六か月」をあえて「ロクゲツ」などと言わない、「…旨申し向けて誤信させ、即時同所で金員百万円を騙取した」という事実の記載は、端的に「…とうそを言って信用させ、その場で百万円をだまし取った」と表現する、というような提案です。同様に「こもごも手拳で殴打」は「かわるがわる、こぶしで殴りつけ」、「喝取」は「脅し取る」にと、だれが聞いても分かるように表現を改めるよう呼び掛けたのです。

 この提言は、実務を一変させることにはなりませんでしたが、先例の型に従う傾向の強かった判決書について、平易化のため現場でも種々の工夫をすべきだという合意が形成され、その趣旨は裁判所内に徐々に浸透し、判決文はある程度短文化され、平易化にも少しずつ配慮されるようになってきました。それから約20年、判決書は一文の長いものがまだまだ多く、平易化も到底十分とは言えません。裁判所は一層表現を磨く努力を惜しんではならないと思っています。「ドウジョ」の「ハンコウヲヨクアツ」して「ゴウシュシタ」と法廷で読み上げても、それが「同女の反抗を抑圧して強取した」と理解できる傍聴人は少ないでしょう。これでは独りよがりと言われても仕方がなく、市民参加の時代にふさわしい表現とはほど遠いと思います。

 法律用語も同じです。法の概念には難解なものもありますが、市民に理解不能な概念はなく、市民が理解できないとすれば、概念のどこかに無駄なものや不完全なものがあり、そのために概念が固くて未熟なものとなっているからだと思うのです。その無駄なものを取り除き、不完全なものを補って説明する責任は法曹の側にあります。法曹はそれを自らの頭で考え、その結果を市民の言葉で伝えるべきです。その努力をしなければ、知らず知らずのうちに市民と法曹との間に見えない壁を作ってしまうことになると思います。法曹は、市民参加が現実のものとなった今こそ、市民の言葉で法を語るべきであり、その訓練に取り掛かるべきだと思います。






(上毛新聞 2012年8月14日掲載)