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視点 オピニオン21
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iikarakan/片品生活塾主宰   桐山 三智子 (片品村菅沼)


【略歴】横浜市生まれ。東京都内の雑貨店勤務後、田舎暮らしを求めて20 05年に片品村に移住。自然農法に取り組み、炭アクセサリー作家としても活動する。


親子関係と価値観



◎自分を変えて自信持つ



 先日、横浜に住む両親を片品村へ招待し、廃屋の牛小屋を改修した新居を披露した。駅まで迎えに行くと、母が一言。「ちゃんと生活していけてるの?」。これは口癖のようなもの。新居を見た両親の反応は「何この家? 隣の家(一般的な住居)の方がいい」と母。飛び回るアブに「ギャー、アブ。早くホテルに行きたい」と騒ぎ出す父。両親の反応に私は笑った。正確に言えば笑えるようになった。

 一言で言うと、両親は都会のネオンが大好きなタイプで、農村暮らしを選んだ私とは価値観がまったく違う。お金で不自由しないことが子どもの幸せだという価値観を持った両親を私は好きではなかった。両親は共働きで一生懸命働き、何不自由なく私を育ててくれた。留守が多い両親。思春期には私も家に寄りつかなくなった。高校時代は歌手の安室奈美恵さんを目指す当時流行のコギャルだった私。友達とつるむ日々は楽しいけれど、どこかむなしい。そこそこの学校に入って、何となく就職して、ただ何となく日々が過ぎていく。そんな中、初めて自分の意思でやりたいことができた。それが「農村暮らし」。「両親に反対されなかった?」とよく聞かれる。もちろん両親は反対。ただ、忙しい両親は即行動する私を止めたりはしなかった。

 農村暮らしは自分で暮らしを創(つく)ることができる。お金は必要最低限稼げばいい。お金を使わないように工夫することも仕事の一つである。何となく過ぎていく日々が、やることでいっぱいの毎日に変わった。鼻の穴まで真っ黒になって炭の入れ替えをして、汗だくで草刈りをしていると自分でもコギャルだったことを忘れてしまいそうになる。

 私は日々の暮らしを伝えるためにブログを始めた。友人たちはもちろん、実は両親に知って欲しくて始めたのだ。もう6年になる。両親もブログを読み、何度か村に足を運ぶ中で少しずつ変化があらわれた。大雨洪水警報がでると「畑大丈夫?」とメールが来たり、味噌(みそ)の材料さえ知らなかった母が一昨年から友人と味噌を作り始め、今年は私の作った米糀(こうじ)と大豆で仕込んでくれた。

 たとえ血のつながった親子でも価値観を変えることは難しい。でも歩み寄ること、お互いの価値観を認め合うことはできる。昔の私だったら、きっと新居への両親の反応に怒っていたと思う。今の私は両親の反応を面白いと思う。それはきっと今の私の暮らしが充実していて自分に自信があるから、そう思えるのだと思う。「ちゃんと生活していけてるの?」。母の口癖に笑って「大丈夫だよ」とこれからも言えるように毎日を大切に過ごしたい。生活を変えることはとても勇気がいることだけれど、不満を言う前にまずは自分を変えること。そうしたらいろいろなものの見え方が変わってくるはずだ。






(上毛新聞 2012年8月28日掲載)