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視点 オピニオン21
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群馬パース大学長  小林 功 (前橋市三俣町)


【略歴】渋川高、群馬大医学部卒。同大学院修了。医学部附属病院長など歴任、2005年から現職。群馬大名誉教授。歌誌「地表」同人。10年度県文学賞(短歌部門)受賞。


若き世代への提言



◎多角的視野で粘り強く



 年をとると、昔の話がしたくなる傾向がある。いま世界の中で日本の置かれている立場は、いずれも厳しい。そこで、過去を振り返ってみたいのである。

 第2次世界大戦により敗戦国となった日本は、米国に依存せざるを得ないことになり、北方領土は当時のソ連に占有され今日に至っている。東西の冷戦の終結後も世界の各地で局地戦争は続いている。さらに最近、尖閣諸島や竹島も近隣諸国から、領有権をめぐる主張が表面化し、敗戦後67年たって、反日運動が再び盛り上がっている。

 一方、1937年、いわゆる日中戦争が勃発。富国強兵化したわが国は細川護煕元首相言うところの侵略戦争に突入し、多くの犠牲者を出したが、やがて第2次世界戦争へと発展した。戦況は次第に不利になり、前橋市の熊野神社近くに住んでいた私たち一家も、境内の一角に穴を掘り、敵機の来襲に息をこらしていたことを鮮明に覚えている。

 68年に米国へ留学した私は、どうしてこんな大きな国と戦争したのかと、あらためて当時のわが国の指導者層にあきれた記憶がある。高崎にあった歩兵第15連隊所属の兵隊さんたちの戦地へ赴く姿が、高崎駅西口へ消えてゆく姿が目に焼きついている。小学生だった私たちも、小旗振り振り見送ったのである。そして本土では、敵兵が日本に進攻してきたら、竹槍やりで一対一でやっつけろ、と私たちは真剣に教えられたのである。

 現在の中国の反日デモの現状は心痛む。若者の顔が多い。

 日本でも、60年の安保闘争は特に私たち若者が中心となり、国会周辺を取り囲み、座り込んだ。前橋市内もプラカードを持って練り歩いた。

 医師で歌人の岡井隆の歌に、「キシヲタオ…しその後に来 んもの 思 もえば 夏なつ 曙あけぼのの erectio penis」という一首がある。当時の岸内閣を倒せという運動が背景にあり、下の句へと飛躍し複雑な内面を吐露している。結局、官権に抑えられ、そしてこの後、わが国は高度経済成長時代へ突入する。70年の安保闘争の際は大きな学園紛争へと発展、さらに浅間山荘事件に連動していった。

 ハングリーな時代から解放されると、若者は目覚めて、社会の矛盾に目が向く。そして、怒り、行動に走る。最近の新聞の投書欄に、高齢者から「冷静に、慎重な行動を」といった内容の文章が目立つ。過去の苦い歴史を知っているからである。

 傑出したリーダーが出現して解決できるような単純なものではない。特に領土問題は、ナショナリズムに直結する。日本は軍備を持たない国に一応なっている。戦いはしてはならない。これは国民的合意であろう。

 提言をひとつ。多角的視野に立ち、粘り強く主張する国になってほしい。過去の歴史は消えない。






(上毛新聞 2012年9月28日掲載)