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視点 オピニオン21
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東京芸術大非常勤講師  赤池 孝彦 (桐生市東)


【略歴】静岡県出身。東京芸大大学院修了後、文化庁在外研修員など歴任。改装したのこぎり屋根工場を拠点にアートプロジェクト・桐生再演を企画運営する。美術家。


建造物の活用や修復



◎野帳作成と聞き取りを



 私は建築家でも郷土史家でも文化財の専門家でもない。桐生ではそのような専門外のことばかりに携わっているが、他の領域の人たちと協力して失われた記録を探したり、そこに新しい視点を与えて表現していくことに興味が向かう。

 案件を前にして論点を整理して専門家をたずねることになるのだが、だれに命令されたわけでもないのに小さな事実や記録を積み上げて研究をしている人たちが桐生にはたくさんいる。たずねれば大変丁寧に教えていただける。

 そのような方々が残された資料をそのまま死蔵させてしまうのは惜しいという計らいか、小学校の空き教室に教育資料室が設けられている。生きた桐生史と言っても良い大里仁一先生が室長。探しても見つからない昔の桐生市史や教科書がここにはある。

 収容に限界があるからと言ってすぐ新しい大きな箱をつくるというのも時代遅れだろう。これは重伝建地区になったばかりなのに活用を急がせる設計競技に似ている。家庭の事情を抜きにして踏み込めないのだから、「野帳」(建物の実測図だけではなく材質から増改築の変遷までが総合的に記された記録帳)を作成しながら所有者の聞き取りをするのが前提となる。問題の所在が明らかになれば、時間差はあるが解決に向けて方針が打ち出せる。そこを省けば問題が起こる。目先のことにとらわれるとそれが見えなくなる。

 桐生には建造物利活用の事例が多い。郷土資料展示ホールが解体されて久しいが、明治の殖産興業策で撚糸の模範工場として始まり、前原悠一郎により日本最大まで成長した日本絹撚株式会社の事務所棟、現在の絹撚記念館がその役割を担おうとしている。小さな建物ではあるが、長岡造形大学木村研究室と桐生の建築士会、桐生市職員の合同調査による「野帳」を見れば当時の精神的な支柱も読み取れる。群馬で最も古い建物の一つが工夫された展示案をもって新しい資料館になろうと修復を待っている。規模は異なるが、先日完成した東京駅の復元工事にも似たような気持ちがうかがえないだろうか。

 一方、桐生の重伝建地区の特定物件を修復する工事も一つ一つ案件を抱えている。はたから見ていても担当職員の仕事の煩雑さは大変なものだ。ここでも所有者の聞き取りと「野帳」から計画を立てていく必要がある。私たちは任意団体なので行政が敬遠すべき話にも触れられる。

 時代劇の舞台のような伝建地区もあるが、桐生は江戸時代から現代までの建物が雑然と並び、路地裏や小路が張り巡らされた生活の場を構成している。それぞれの家が異なる来歴を持って形成されているから調査にも時間がかかる。急ぐあまり人災により桐生の町並みの特性を摘み取ってしまうことだけは避けたいものだ。





(上毛新聞 2012年10月24日掲載)