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視点 オピニオン21
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神流町観光インストラクター  細谷 啓三 (伊勢崎市韮塚町)


【略歴】沼田市出身。神奈川県神奈川工業高、京都市立芸術大学校美術学部卒。大洋グループなどでテレビ制作関連の業務に携わり、2009年8月から現職。


観光企画への取り組み



◎恐竜を見つめ直し核に



 神流町で観光インストラクターとして仕事に取り組んでから3年と3カ月がたとうとしている。今まで主に、企業の商品開発や広告宣伝などに携わってきたが、こんなに内外面から、しかも長期に、観光事業に取り組んだことはなかった。単発でポスターやパンフレットの作製を観光協会などから受注していた。しかし、町での取り組みは、いろいろな意味で思考を大きく変える機会になった。

 神流町で仕事に取り組み始めた時は、何か素晴らしいことができるのではないかと胸を膨らませたが、頭の中の思いばかりが先走り、試行錯誤の繰り返しだった。企画を進めると、自分たちの都合をお客さまに押し付ける考えをしていた。「あれが足りないから、これがないから」と、どうしても企画段階の理想と現実に開きが出てしまう。まさに一人相撲である。しかし、これでは町を訪れるお客さまには満足してもらえないし、再度訪ねていただけることなど望めない。

 企画を考え実行するときは、担当者の立ち位置ではなく、この街を訪ねる旅行者の立場で考え、良い考えであれば妥協せず前向きに取り組むことが必要だと痛感する。そして、観光企画を進めていくと、どうしても周りの市町村の事業やイベントが気になり、目線は自分の足元ではなく遠くに向いてしまう。「たら、れば」のことを考え、ないものねだりが頭の中をぐるぐると回り、まさに堂々めぐりで何も先に進まない状況に陥る。

 そんな時、他の町村の担当者から「おたくの町はうらやましいね。あんなすばらしいものがあるのだから」と言われてはっとした。それは「瀬林の漣痕(れんこん)」、通称「恐竜の足跡」である。1953年、道路拡張工事の際に露出し、58年には群馬大の教授をはじめとする研究チームが漣痕として学会に発表した。その論文で「奇妙な穴」と記されていた部分が、85年に日本初の「恐竜の足跡」であることが発表され、その年のゴールデンウイークは約3万人の見学者でにぎわった。

 この周辺では、恐竜の骨や歯なども見つかっており、そんな経緯を踏まえて神ケ原地区に恐竜センターが25年前にオープンした。しかし、時間の経過とともに、貴重なものであることも薄れてしまう。日本初の発見で、文化財でもある恐竜の足跡、恐竜センターを核に「恐竜の里 神流町」として、これからの町の観光を考えることを自分の思考の中心におき、企画を進めていきたい。恐竜に関するものだけではなく、3年間の教訓を生かし、地元にある身近でかけがえのない大切なものを見つめ直しながら取り組んでいきたい。





(上毛新聞 2012年10月27日掲載)