,
視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
. | |
|
|
◎異文化に触れ、気づく がらりと引き戸が開く音で、来客を知る家だった。 「京橋だったから、門のある家に嫁ぎたかったのよ」と母は笑う。東京駅も歌舞伎座も歩いて行けた祖父母の家。3階には作り付けの二段ベッドがいくつもあり、かつては住み込みの娘たちが何人も寝泊まりして働いていた。 母は少女時代の夢をかなえて、門のある家に嫁いだ。私がイメージする母は『たけくらべ』の美登里、父は信如。2人の性格は正反対だったが、通りの喧騒(けんそう)をよそに2階の窓辺で読書や勉強ばかりしていたロマンチストの母にとって、結婚は運命を変える一度きりのチャンスだったに違いない。 正月、決まって祖父の落語を聞かされる母方の家。遊び人の祖父は囲碁が強く、騒々しい女たちのおしゃべりの横で、父と何時間も勝負していた。対して、父方の善福寺の家では正月、孫の私たちは外国のドミノゲームで遊んだりして静かに過ごした。 東京下町と山の手という二つの文化を行ったり来たりして私は育ち、両方の長所短所を受け継いだ。それが中途半端な感じがして、長いこと自分ではすっきりしなかった。 転機は20代。日本を飛び出し、アリゾナ、そしてニューヨークで暮らしてからだ。 日本では当たり前と思っていたことが通用しない異国の地。誰も自分を守ってくれず、小さな悩みは吹っ飛んだ。 あまりにも違う文化や価値観の中に放り込まれたからだろう、私を縛っていた、父のやり方か、はたして母のやり方か、といった「山手VS下町」の二者択一の選択肢からも解放された。 文化とは何か。 母から受け継いだ文化、父から受け継いだ文化、この二つだけが私の中にある文化ではなかった。人生の途中で出会い、自ら求め、環境次第で深めていくことのできる「異文化」は存在する。だからこそ、人生は豊かになり、時に救われもする。 出会った時に異文化だったものが、気づけば自分の血に溶け込んでいる。かと思えばその真逆に、ふと浮かんだ幼いころの記憶から、忘れていた大切な過去と再会する…そんなことを繰り返しながら、自分にとってかけがえのないものに人は気づいていく。 文化は固定したものではなく、常にその人、その地域に変化しつつ流れているものの中にある。だからこそ、文化を守るのであれば、一度違った文化から自身を見つめる体験が打開策になり得る。 たとえば、外国人を呼んで交流する。海外に遠征する。進学や仕事で故郷を離れた人に、文化行事の裏方を頼む。若い移住者を呼び込む。 異なる価値観や文化に触れることで、人は、自分にとって最も大切なものを知る。文化の担い手には、ありとあらゆる方法で、外の風に当たってほしい。 (上毛新聞 2012年11月11日掲載) |