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リゾートホテル コニファーいわびつ支配人  福村 恭孝 (東吾妻町原町)


【略歴】千葉県生まれ。小学5年生で東吾妻町に引っ越す。渋川西高卒。1994年から同ホテルに勤務し、2010年11月から現職。東吾妻町商工会青年部監事。


被災者との7カ月(1)



◎「苦悩」を風化させない



 東日本大震災の発生から1週間後の2011年3月17日、福島県南相馬市の被災者を、ホテルコニファーいわびつは受け入れました。それまではこんなにも長く、そして深く、この大震災に関わるとは思ってもいませんでした。そして、避難所として運営していく中で、本当の意味での人との関わり方を勉強した7カ月間でした。

 この期間の体験を皆さまにお伝えしていくことも、被災者と長期間過ごした者としての役割なのではと考え、記しておくことにしました。

 実際、現在も数人の被災者の方から、手紙や電話が来ます。仮設住宅に移ってからは個々での生活となり「さびしい思いをしている」「やることがない」「故郷に帰りたい」などと打ち明けてきます。長い避難生活を余儀なくされ、新たな問題が次々と出てくるようです。震災と原発事故の被災者のこれからも続くであろう苦悩を、受け入れに携わった人間として風化させないためにも、声を出していこうと考えました。

 私どものホテルコニファーいわびつは吾妻郡東吾妻町にあります。東京都杉並区の宿泊保養施設としてスタートしています。東吾妻町と杉並区が友好自治体だったため、ここに杉並区の保養施設ができました。現在は民営化していますので、すべてのお客さまにご利用いただけるのですが、建物の所有者は現在も杉並区です。

 その杉並区と福島県南相馬市が災害協定を結んでいた関係から、南相馬市が被災したということで杉並区が避難住民を受け入れることになったのです。そこで、杉並区が所有するコニファーいわびつと東吾妻町に被災者受け入れの要請が来たのです。

 ご存じのとおり、南相馬市は福島第1原発より30キロ圏内に多くが含まれています。当然、即避難ということになりました。

 私どもといえば、震災後は予約のお客さまからキャンセルの申し出や、営業は通常通り続けるのかなどの問い合わせを受けていました。震災後の数日間はすべての予約がキャンセルとなり、ホテルはお休みにしました。電話対応と普段できない仕事を片付けながら、刻一刻と状況の悪くなる原発のニュースから目が離せないでいました。

 今回の震災は、地震や津波だけでなく、原発事故というこれまでに経験したことのない恐ろしい事態が発生してしまいました。すでに他人事ではありません。しかし、そうはいっても、やはり遠くの出来事で、仕事もありますし、なにかお手伝いをするというわけにもいきません。そんな中、避難住民の受け入れ要請がありました。






(上毛新聞 2012年11月13日掲載)